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2016.09.05 (Mon)

『貧困』の定義

中学生の時に、祖父の財布から金を盗み、買い食いに充てた。
釣銭を抽斗に隠していたのを母に見つかり、嘆き悲しまれる。
『みんなの様に食べたいなら、店に言っておくから!』と。

停留所の店で、『母ちゃんから金を預かっちょるよ!欲しいものを食べて!』
言われて、『そうですか!』とはならない。
多くの生徒が降り立つ中で、大声が疎ましく聞こえた。

殆どの中学生が、坂元集落への帰り道、アイスを口にしたり、飴玉をしゃぶったり。
当方は、ひたすらに自宅を目指し、道を違えて帰ることも。
時には、一つ手前の停留所で降り立つこともあった。

夏休み、自転車を駆けて映画に行く生徒。
夕方には賑やかに、そして楽しそうに家路を辿る。
吾らは早朝から汗だくで、刈られた稲束を運び、全身の痒さに閉口している。

3年生の時、母が『夏休みに手伝ったら自転車を買ってやる!』と。
母との約束だから果たせるものと信じ、懸命に汗して働いた。
が、供出米の代金が入る頃に、『祖父ちゃんに、よお言わん!』と。

言えば、『危ないじゃろう!バスで通学できるじゃないか!』と言われるとの予測。
それは判り切ったことで、そこを母が押し切って購入するものと踏んでいた。
約束の破綻だが、事前に祖父の了解を得ていなかった母を責めた。

その『怒り』は、実父に向けられる。
祖父の不倫がもとで祖母との諍いがあり、親子三人は飫肥の市営住宅に越した。
その時、吾は、東京で工務店の下請けをやっている父に手紙を書く。

先日、中学卒業時の記念文集を見せて貰った。
自身で鉄筆を握り綴った文章は、教師を批判したものだったが、驚くほどの文章力だ。
名文ではないが、激越で言葉遣いに圧倒される文章だ。

同様の筆遣いで、父に手紙を書いたのだろう。
後で周囲に、『あれだけ厳しい手紙を貰うとは思わなかった!』と漏らしたらしい。
吾ら親子の貧困は、父親としての責めを果たさない、貴方の責任だ!と罵ったのは記憶にある。

そして、自転車の購入を迫ったのである。
未だ戸籍上は実父としての位置にあるが、内縁の妻との間に一男一女があった。
認知はしていても、一男一女は非嫡出子である。

が、吾は戸籍上も父と母の長男。
双子の弟は次男で、養育の義務を実父は負っている。
それらを羅列し、父を責め、金銭を要求した過去の『罪』を今でも覚えている。

婿養子に入った父が、家業に耐えきれずに家を出た。
長い木戸を下りながら、振り返り振り返り、実家に帰ったという。
帰るに当たって『裕一を欲しい!』と。

親戚は、そのことを知っているから、吾に会うたびに口にした。
そのことは、吾を『除け者』にしているようで、非常に不愉快である。
その『不愉快』が、父への反発心として激越な手紙になったのだろう。

中三の時、就職指導の植村先生から呼ばれた。
『君は、高校進学を農林高校農科と書いたそうだが、何故か?』と問う。
『えぇ~! 農業をやりたいからです!』

『バカを云うな! 今から先は大学を出なければいかん!日南高校に換えろ!』である。
政治の世界に進みたい願望は持っていたが、大学で学ぼうとは思わない。
が、吾の希望は無視されて、日南高校を受験させられた。

祖父は、『分限者』と言われ、数多くの役職に就いてたかもしれない。
が、吾には、友達のような生活が裕福に見えた。
がんじがらめで融通の利かない窮屈な生活、家族みんなが祖父に脅える生活。

豊かさも、有難味も感じない、心に『貧困』が灯る暮らしだった。
近在の女生徒は裕福な生活で、困窮を知らない我儘を通した。
が、私立女子高にも落ち、県立も不合格で、定時制に留まった。

姉弟も推薦で大学進学を果たしたが、中途退学し卒業していない。
大学時代にも、懸命に働いて学業に勤しむ学生、多くの仕送りで雀荘に入りびたりの学生を見た。
様々だったが、学業優秀で出世できたかどうかは疑問だ。

ドラ息子で、幾年をも留年して卒業し、家業を継いで名誉職にありつく者もいる。
貧しい中から努力して、社会的地位を築いた者もいる。

いろんな職場を見てきたが、学歴がものをいうのは公務員くらいか?
後は、大卒でも高卒でも、能力に大差はない。
むしろ高卒の方が、4年早く実社会を経験しているだけ使い道がある。

今朝の宮日には、『相対的貧困』と『絶対的貧困』を扱っていた。
吾もNHkの番組を視たが、映像で『貧困』に違和感を覚えた一人だ。
部屋の背景には、多くの飾りがあり、豊かさと贅沢を感じさせられたからである。

社会で普通とされる生活が出来ないのを『相対的貧困』というらしい。
『相対的』と云うからには、対象とされる事象がある筈だ。
その『事象』の説明がなければ、『相対的』か否かも判らない。

6人に1人が『相対的貧困』らしい。
つまり、6人に1人がスマホも持たず、ポケモンGOもやれない!というわけか?
大学に進学するのが『裕福』で、進学できないのは『貧困』というのもおかしい。

『どうしても学びたい!』と願う生徒の前途が、全く閉ざされているなら別だが。
中には、吾の様に『親の離別』で、人並みが味わえない子供もいるかもしれない。
シングルマザーで、親の責任を果たさない人もいるかもしれない。

が、多様な人生の選択が許されているとすれば、限られた範囲での選択は可能だ。
なにか、『貧困』が「売り」の言葉に聞こえてならない。
吾の人生は、『相対的貧困』だった。
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