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2016.07.06 (Wed)

奨学金

高校時代の同学年330名のうち、政治の世界に在ったのが5名?
双子の弟は、群馬県伊勢崎市の市議会副議長から県議に。
あと、日南市議が2名、参議院議員が1名。

吾は、日南市議から県議に進んだ。
同期生が、『学業成績が悪い程、出世している!』と。
なるほど、市議経験者のIクン、Nクンが吾よりも番数は上だったか!

参院議員のkクンは、確かに吾より成績は後方だった。
席順も後方で、3年生の時、吾の後ろ最後部に彼が座っていた。 背丈は高い。
『赤点が多くて、卒業できないんじゃあないか?』なんて噂していたものだ。

ある時、読売新聞の見開きに、医療問題での対談が。
日本医師会幹部としてkクンの名がある。
そして、比例での参院議員である。

医師というからには、医学部を出て、国家試験に合格したということに他ならない。
あの、『卒業できるのか?』と訝られた彼が!である。
つまり、高校時代の学業成績よりも、その後の『努力が実る』確率が高いということか。

市議経験者のIクンは近畿大学を、Nクンは日本大学、弟も日大であった。
高校時代に進路を決めるとき、旺文社全国模擬試験の偏差値が生かされた。
~大学~学部~学科で、全国の志望者数、定員から割り出して偏差値が出る。

該当する上下辺りから志望校を選ぶのである。
現在のように、『共通試験』なんてないし、受験した大学にすべて不合格なら浪人しかない。
当時は、予備校や進学塾も完備していなかったから、浪人は避けなければならない。

大学生活では、クラブ活動に勤しむ者、バイトが日課になっている者、遊び呆けている者。
それぞれだが、決められた学業に毎日通う学生は少数派だったろう。
兎に角、必須科目や専門科目の単位を取得すれば卒業できるのである。

勉強や研究に打ち込んで、学究足りない者は研究室に残るか、大学院に進むか。
しかし、大部分の学生は、先輩などのコネを頼ったりして就職活動に精を出す。
常にはジーパンなど、ラフな格好している学生が、リクルートスーツを身に纏う。
あそこに、隠された嘘が潜んでいるのに、採用者側は知らんぷりを決め込んでいる。

法学部で学んだ学生が出版社に就職し、文学部の学生が銀行に就職する。
大学の専門学部で学んだことが、『活かされない』職種に入り込むのである。
つまり、大学での学びは、実社会では無関係なのだ!と理解できる。

だったら何故に、大卒と高卒の違いがあるのだろうか?
初任給も違うし、出世の道筋も、定年時の位置も、大きく異なってくる。
大学の4年間の学び、それがそれほどの価値を産み出すものなのか、判然としないのである。

県庁と違って、市町村の職員採用試験では『高卒・大卒』の区別はないように思う。
『給与表』や『俸給表』をみたことはあるが、採用試験告示ではそう思える。
となると、採用試験の学力テストでは、学びから遠ざかってた大卒よりも高卒有利なのか?

でも、親も子供も、なぜ大学進学に傾くのだろうか?
脛をかじって4年間遊べる子供の気持ちは理解できるが、進学させようとする親の気持ち。
大学進学が、ひとつの『世間並』に映るのだろうか?

そういえば、18歳選挙権を報じる新聞も、大学生に照準を当てて報道している。
『大学に不在者投票所をつくった!』だの、学生の政治への意見!などと。
高卒で就職し、社会に出た若者を無視しているから、どうみても差別に思えてならない。

その選挙戦の公約に各党とも、『給付型奨学金制度』を約束している。
給付型と云うからには、『返済の必要が無い!』ということだろうが、これは既に政府が打ち出している。
しかし、財源の問題や、給付の基準についての論議が必要だろう。

吾は、子供3人を大学に進学させたが、郵便局の学資保険が一部、役立った。
『教育ローン』も考えたが、必要な手続きが面倒で、個人事業の融資を受けた。
日本育英会の奨学金もあったけど、それに達する成績に届いていなかった!と云うべきか。

米国では、大学進学の経費を親が負担する例は皆無だと聞いた。
本人が進学し、奨学金で卒業、社会に出て返済するのが一般的だという。
ために、在学中は学びに励み、少しでも有利な奨学金に切り替えてゆく!と。

ここが、日本の高校生との違いだ。
大学に進学するまでは懸命だが、進学してしまえば4年間、遊ばれる!
つまり、『学び』を目的としないで、『遊び』を目的としている。

その為に『給付型奨学金』?   そりゃあ本末転倒というものだろう。
第一、日本は大学が多すぎる。
『駅弁大学』と揶揄されるほどだったのに、あれからも増え続けている。

宮崎県には、国立宮崎大学しかなかったのに、今では6つくらいあるのでは?
吾が進学した時、『八王子校舎』の建設用地を視察したから、あの時代から新設、増設が始まった。
団塊世代が卒業し、『狭き門』が『広き門』に変わった時代に! である。

第2次ベビーブームが去り、大学受験者も激減してきた。
『オープンキャンパス』と銘打ちながら広告を出し、大学は生き残りに懸命だ。
一方では、『私学振興助成金』も減らされてゆくから、まさに青息吐息。

大学生は増えたけれども、産業を支える『ものづくり』の担い手は減少している。
つまり、求められている人材が育たずして、取りえもない若者が多く輩出される。
この歪な『人材構造』を、まだまだ『奨学金制度』で支えるというのか?

全学連諸君が、『産学協同路線だ!』と、大学当局を吊し上げた。
つまり、資本家の為に人材を育てている!という批判だろう。
同調するマスコミや文化人?もいたが、いかに荒唐無稽な論議の時代だったか判ろう。

戦前は、教員を目指すものは『師範学校』で学んだ。
職業軍人を目指すものは、『士官学校』である。
つまり、目指す職業、志す職業に進む教育機関が存在したということである。

今は知らないが一昔前には、県庁林務部職員に県立農林高校林業科の生徒が目的採用されていた。
勿論、『ノンキャリア』だから、出世の道筋は決まっていたが、『専門職』と言えるだろう。
このように、『学び』と『実業』とが一体になってこそ、教育の成果だと思う。

大学に進学して真剣に学び、それだけの資格取得などの成果を挙げた者に『給付』する。
そういう『成果主義』で進めれば、給付型奨学金は大いに推進すべき。
『貧困の連鎖』だとか、『学ぶ意欲』などと、言葉で飾らない政策を進めるべきだと思う。
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