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2016.06.10 (Fri)

『75歳』の終身

県議選に落選、浪人中の折、知り合いが『霊友会』への入会を勧めた。
入会というよりも、『入信』だろうか?
日蓮宗で、創価学会や仏所護念会などと枝分かれした宗派だ。

因みに、吾が学生時分に駆り出された参院選全国区で、石原慎太郎候補の支援団体だった。
宮崎から法話にみえるのだが、『先祖の供養』が中心だ。
先祖の供養によって、先祖が立ち位置を高めるほど、現世での自身に功徳がある。

現世で、悪事を働いた者は、来世から現世に出て来てもミミズやモグラにしかなれない。
功徳を積めば、人間として現世への生まれ変わりが速く実現する。
そうやって、来世の存在、死後の世界を諭し、集いを拡げてゆく。

吾が県議に当選したら、『職務において功徳を積みなさい!』と、暇を与えられた。
霊友会から分派していた仏所護念会から誘われたこともある。
その時、吾は自民党を離党していたが、宮崎市から来た『ハナ婆ちゃん』が小沢一郎を批判。

『公明党・創価学会と組んでいるのが許せない!』と云うのだ。
が、自民党が社民党と組み、政権を奪取して、公明党とも組んだ。
『ハナ婆ちゃん』の反応が知りたかったが、その時、吾は無関係になっていた。

母が、死後の世界についての吾の尋ねに、『眠った状態よ!』と応えたのは以前、書いた。
当時は、考えられないことだったが、今になっては『母の言った通り』だと思える。
霊友会の教えの通り、来世から現世への輪廻転生が非現実的に思えるからだ。

世界で、多数の民が亡くなり、それが現世に再来することは非現実的だ。
寺の住職も言う。
『先祖を供養することは、先祖の存在したことを思い出すこと』だと。

つまり、父母や兄弟、伯父伯母を思い浮かべる、その縁(よすが)を供養と云うのだろう。
ということは、先祖を知らない世代には、全く無関心なことだということだ。
孫までなら兎も角、曾孫あたりになると、供養の気持ちも湧かないということになる。

吾も、長生きは望めない!
死に際も、延命治療無しで、眠るが如く、静かに身罷りたい。
魂は残らないから、存念もなしに、永遠に眠り続ける。
夢も見ないで!

吾自身が、分家した坂元家の3代目。
4代目までは居るが、その後は見通し無しだから、4代目に告げてある。
全ての遺骨を散骨し、墓終いをして、家系図と過去帳だけを持っいろ!と。

先日、市の主催する会合が中止!だと連絡が。
『市長の親戚に不幸があったらしい!』と聞いた。
祖母上が亡くなったらしいが、公務に優先する大事なのだろう。

翌日は、吾の関係する機関に、『市長身内の不幸』を伝達する電話が市役所から。
不幸を知る術が無いのを気遣った『優しさ』は、役所に似合わず親切で感謝に絶えない。
同時に、市長の自己愛、家族愛に、心から敬意を表したいと思う。

吾は、祖父母の死に際に立ち会っていない。
祖父の臨終の折は、市議会会派の打ち上げで中央酒場で飲酒。
帰宅して、本家の報せを受け、迎えに走った。

母の臨終は、病院の配慮で、吾の到着まで『心臓マッサージ』で繋いで頂いた。
が、葬儀は、本家にも知らせず、家族だけで見送ったが、母は寂しい思いだったか?
心の中では、『お袋!ありがとう!』と幾度も呟いたが、涙は出ない。
吾は市長のような、優しい『家族愛』を持ち合わせていないのかもしれない。

先日、イオンの書店を覗いていたら、高齢者向けの書籍で溢れている。
週刊新潮も、2週続けて『医学の勝利が国家を滅ぼす』と。
5週の短期連載らしいから、高齢者への医療現状の警告として受け止めたい。

記事によると、50年前に200人に満たなかった100歳以上が、昨年は6万人。
今後も、倍々で増え続け、2050年には68万人に達するらしい。
そして75歳以上の後期高齢者は、2025年に2,200万人、人口の18パーセント。

その結果、減少してゆく負担者・若い世代は将来の宛てもなく働き続ける。
いくら消費税を引き上げても、社会保障費には追い付かないだろう。
だったら、増え続ける医療費を減らせ!というのが連載の趣旨だ。

生産人口としての年齢は、75歳が上限らしい。
ということは、それ以降は『非生産人口』という訳だから、『投資効果?』は無いということだ。
保育所や教育と云う『生産人口』の基礎を省いて、非生産人口に使う『ムダ』への指摘。

吾も、同感だと思っている。
食べたくないのに無理やり、口に食物を入れる。
福祉施設での光景を見ると、『人間の尊厳』は感じられない。

吾は、延命治療も断り、自身で食事、排泄が出来なくなったら、人生の終焉と自覚したい。
認知症になっても、胃瘻で食物を供給したりすることも断っておく。
予め、書面に残すか、子供に含ませて承知させないと、認知症では遅いだろう。

『尊厳死』を認める!そういう制度を、なぜ敬遠しているのか?
何十年も点滴と人工呼吸器で生かされ、再び目覚めることも無いのに多額の医療費を使う。
まぎれもなく、『人は、いつかは必ず死ぬ!』という常識を、最近の吾は自覚する。

その峠が、75歳だろう。      吾には望めないが!
75歳になったら、救命救急センターも受け付けず、延命治療もしない!
そして、『不健康寿命』を伸ばさない!

思えば、無念さを感じ、未練が残る今生だったかもしれない。
が、歴史に、人生に悔いることなく、終焉に至るが、穏やかな眠りに就けるかもしれない。
何にも値しない人生、墓も得ない終焉。
それで、『75歳終い』で、若い世代の活路を拓く。
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