2017年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

2016.04.15 (Fri)

『一人会派』

県議2期目のとき、上杉先生の秘書・石川氏から『超党派の勉強会を立ち上げませんか?』と。
折しも、自民党が政権から脱落し、細川政権が成り立っていた。
『超党派?でも社会党などとは勉強できないなぁ~!』

『イヤ!創価学会や連合、民社党の連中とですよ!』
口車に乗ったわけではないが、『新政策研究会』を設立した。
鬼籍に入られた元・県議の水間さん、現職の押川修一郎さんらが参加した。

幾度か、勉強会が開催された。
『極右』と揶揄された吾が会長で、同僚の吉元県議が会長代行。
が、自民党県議団から党議の度に、猛烈な攻撃を受けた。

吾は2期目早々に、先輩と戦って会派三役の『政策審議会会長』に就任していたから反発は大きい。
特に、同期生では最年少だったから、同期生の視線も冷たいのである。
三役として『委員長配分』を決める立場だったが、希望通りに就かせたのに。

『勉強会を続けるなら、会派を離脱して貰いたい!』という声。
『まぁ、いいじゃあないか!若いうちは誰とでも勉強しないと』という老練の意見もあった。
が、吾と吉元、鈴木、小斎平、黒木の5名が出て、『県議会自民党』をつくる。

折しも、宮崎市の市長選挙が行われ、自民推薦候補と連合推薦の津村候補の一騎打ち。
津村の選対本部長は自民党長老の斎藤実美さん。
正に、保守系も分裂し、選挙に臨んだのである。

斎藤さんから『是非に!』と請われて、出陣式でマイクを握った。
自身で言うのも恥ずかしいが、『あれで保守系支援が先頭に出た!』と。
津村の勝利で選挙は終わったが、推薦を出した自民党は面白くない。

吾らを、『除名勧告処分』に伏した。
鈴木、小斎平、黒木は、土壇場で動きが止まったから、処分無し。
そして、元の会派に3人で戻って行った。

同時に、吾と吉元さんには『除名処分』が下された。
元・助役の坂本候補を支援した自民党宮崎支部は、そうでなければ抑えられない。
党紀委員のメンバーを訪ねて、復党を願ったが叶わない。

ならば!ということで『新生党宮崎県連』を立ち上げた。
小沢一郎の懐刀と云われる、平野貞夫参議院議員をはじめ、多くの働きかけが。
小沢さんとも、数度に亘って懇談し、県連発足に至ったのである。

吾が、山陰地方で行われた『全国豊かな海づくり大会』に出席していた時だった。
新生党県連の事務局長・藪亀から電話が入った。
『すぐ近くまで来ているんですが、会っていただけませんか?』

割烹旅館が用意してあって、そこで話が切り出された。
『会長は、知事選に出られないと聞きました。代わりに私ではどうでしょうか?』
石川から執拗に知事選出馬を勧められていたが、断っていたのだ。

『止めておいた方がいい。県下の選挙運動と云うのは生半可では出来ないよ!』
あくる日に宮崎空港に着くと、石川が待っている。
『今から県連大会ですが、会長は出席されない方がいい。更迭されます』

謎解きが終了した一瞬である。
勉強会を立ち上げ、知事の座を射止める。看板に『坂元を使おう』という算段。
数年後に『安藤知事』を誕生させたが、傀儡にならずに石川も苦労した。

4期目の県議選は、誰に聞いても『坂元落選』
毎日、日南に帰る吾を見て吉元さんは、『そんなにアタフタしなくても勝てるよ!』と。
その吉元さんが、自民党主流派の立てた松下新平に苦杯を舐めた。

吉元さんと吾の『二人会派』だったが、選挙後は吾の『一人会派』である。
その半年後に、地元、自民党日南支部の強力な働きかけで復党を果たした。
自民党県議団に戻って直ぐに、『歴史教科書』に関する議員発議案が上程される。

諸派の諸君から質問の嵐が舞うが、吾が一人で答弁していた。
若い県議達に、信念と覚悟を見せる絶好の機会だったと、今、思う。
そして、田中副議長の逝去による『残任期間』の副議長に就任した。

ある朝、県議団控室に行くと、執務机が半分しかない。
深夜に、別の会議室に分派して陣取り、新しい会派を結成したらしい。
分派連中が、社会党など諸派と組み、議長職を握った。

可笑しいではないか?
吾は勉強会で、連合や民社党と組んだ。
今回は、議長を取るために、社会党などと組み、ポストを配分している。

これは、明らかに『党紀違反』だろう。
吾を、8年間に亘って苦しめてきた『党紀違反』が、県議会ではまかり通る。
『自分党』と云われる所以である。

議長を辞した後、自民党県連会長に就いた。
幹事長の指名で、都城選出の徳重忠夫県議に就任を願った。
彼は、副議長を求めていたが、『本来、幹事長は議長経験者。副議長よりも格上だ!』と。

その後の経緯は知らないが、民主党などと会派を組んだことで苦境に立っていた。
自民党も除名されていたようだが、復党が叶わなかったのだろう。
同期生は、『競争相手』が多くなることを嫌うから、一人でも少ない方がいい。

彼が、吾の家に寄ったことがある。
『私が、幹事長に据えたばっかりに機を逃し、済まなかった!』と謝ると
『イヤイヤ、私は誰も経験しないような体験をさせて頂いた。こんなに恵まれた男はいないですよ!』

幹事長を連れて、議事堂の青木参院会長や、党本部の古賀、菅、選対正副本部長を訪ねた。
吾が余りに強い口調で捻じ込むから、幹事長も事務局長もハラハラ。
全国幹事長会では、小泉さんの前で『乾杯の音頭』までとったらしい。

徳重さんが復党しても、自民党会派には入れない!
入れると、ポスト争いに加わるからだろうが、非情で情けない連中だ。
自身達も『党紀違反』を繰り返した歴史があるのに。

上杉さんも、江藤隆美さんも、中山さんも、古川さんも、みんな『党紀違反者』であった。
現職の、松下新平とて『党紀違反』で、議席を得た。
県議でも、自民党公認候補を蹴散らして当選し、寄らば大樹で自民党会派に所属している。

そういえば、吾が新生党県連会長の時、宮観旧館で中山さんとお会いした。
中山さんは落選中で、『どうしても会ってくれ!』と斎藤実美さんに懇願。
仕方なくあったが、膝座をついて『新生党公認候補として小沢さんに頼んでくれ!』

直ぐの解散は、上杉さんが小選挙区1区を断って、中山さんを推薦した。
その中山さんは、大恩ある上杉さんを裏切る政治行為、度々だった。
裏切りと、党紀違反と、その渦巻く中で自民党政治が行われて来た。

今朝の新聞で、徳重さんの一人会派・自民党県民クラブを知った。
彼は、努力もあるし、政策もあるし、人情にも篤い。
『一人会派』であっても、その存在感を示して欲しい!
スポンサーサイト
13:29  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://yuichisakamoto.blog.fc2.com/tb.php/724-e17d57f9

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |