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2016.03.24 (Thu)

民間療法とサプリ

今で言えば『ふくらし菓子』だろうか?『蒸しパン』だろうか?
幼いころは、『カステラ』と言いながら祖母がセイロ蒸しで造っていた。
『サッカリン』を多く投入していたことを覚えている。

『蜜源』というのもあった。
後で『チクロ』と呼ばれたものなのか知らないが、糖質の濃い添加物である。
店に行くと、赤色、緑色など原色の色を使った紙がある。

樟脳の匂いが強い『ニッケイ』の味がする。
この味も、紙の色も『工業製品』としての化学物質に違いない。
鐘を鳴らしながら自転車が走るのは、『アイスキャンデー』売りのオジサン。

割り箸に氷が巻き付けてあるが、鮮やかな色が涎を誘う。
あの甘さも、あの色も『化学製品』に違いない。
違いないが、大人も子供も、懸念無く口に入れていた。

吾が小学生の頃に、即席ラーメンが発売された。
丼に入れて湯を注ぐラーメンに始まって、茹で麺にして食べるもの。
便利さと美味しさで、瞬く間に流行していったが、汁はラードの塊に味付けが。

粉にしたジュースも売っていた。
冷たい湧水を注いで渇きをとったが、あれも化学合成食品だ。
そして『ニッケイシュ』と呼ばれた瓢箪形瓶に詰めた飲み物もあつた。

戦時中は、食べるものが無いから、木の芽や根っこなどを食していたという。
が、毒が無ければ優良なる『自然食品』である。
仕方なく、飢えに耐えかねて食していたのだろうが、その人達は長生きしている。

逆に、団塊世代のように戦後の『化学製品』を口に入れて来た世代は早死にする。
早死にまでとは行かないでも、色んな病魔に冒され始めた。
年々、伸びてゆく日本人の平均寿命は、もうそろそろ頭打ちに違いない。

団塊世代の『子供達』は、もっと寿命が短くなるのかもしれない。
ご飯を食べながらコーラを『御茶代わり』にしている、食生活世代だからだ。
千有余年の『日本人食生活』の歴史では、希なる『異物食品』と云えないか?

『人生50年』の時代には、生命を維持する最低限の食生活であっただろう。
その証拠に、『美食』に慣れた者の生存率は極めて低い。
死亡原因も、恐らく多くが『結核』や『脳卒中』などであったと思われる。

勿論、癌などの病もあっただろうが、現在の比ではない。
今日の『内臓疾患』は、『食するモノ』に最大の原因があると思っている。
今では、食品添加物は規制されているが、美食の風潮は進むばかりだ。

時代劇などで『御握り』を頬張るシーンがある。
真っ白いシャリで握られているが、果たして当時の精米技術で大量の白米が仕上がったか?
殿様でも、『麦の混じった飯』を食べていただろうし、その方が栄養価も高い。

毎日働き、出かけるときには歩かなければならない生活。
大部分が、『昼食』の習慣が無かったらしいから空腹は相当なものだ。
が、食事は『一汁一菜』が基本で、たまには『二菜』があったか?

寿命が短かったのは、栄養が不足していたのかもしれない。
当時の生き方としては、単に長命であることだけを願ってはいなかったのかも。
が、最大の『寿命差』は、病気治癒療法の違いではないのか?

当時は、『和漢薬』が中心で、勿論、大きな外科手術もない。
抗生物質もない時代だから、一寸した病でも死に至る。
特に、『心の臓』や『脳出血』を根治出来る技術は皆無だから、死は避けられない。

小学校から帰ってきて、農耕馬の飼葉を切っていた。
刃渡り50センチくらいの『飼葉切り刃』を、横たえて挟んで切る。
飼葉を束ね直しするのに、切り刃の手束を額で保った。

が、落ちてきてから、刃が右手の甲に当たる。
白い肉が見えてきたが、見る見るうちに血が滲んだ。
裏庭に走ってヨモギの葉を唾で揉み、傷口に当てて包帯で包んだ。

田んぼから帰ってきた母と祖母は、驚く素振りも見せない。
『オキシフル』といわれる液体で消毒し、『赤チン』を塗るだけだ。
そのうちに『カサブタ』゛が取れ復元したが、今でも傷跡は残っている。

風邪をひいても、ガーゼのハンカチに焼酎を沁み込ませ、首に巻いてくれる。
頭から布団を被せて汗を流し、その後に着替えれば風邪が抜けていた。
どんなに熱があっても、学校には通い、母たちは野良仕事に出かける。

『ゲンノショーコ』という草が吊るしてあって、『薬草』だと云う。
飲んだことはないから、何の病に効果があるか知らないが。
祖父は、『薬草』の類を信用していないのか、全くの無関心だ。

が、年に一、二度、『越中富山の薬売り』というのが来ていた。
大風呂敷を背負って、入れ薬の補充に来るのである。
が、使われるのは『正露丸』か『サロンパス』くらいだ。

便所に行くと、毎朝のように『下痢』の形跡がある。
祖父は胃腸が弱いのか、毎日のように下していたようだ。
毎日、バス停までの20分ほどを行き来するから、途中での便意を想像してしまう。

当時としては、『紳士然』としていたから、山の中にでも入るのだろうか?と。
今でも売ってあるが、『ビオフェルミン』というのが食卓に。
便意を催すことを避けるため、服用していたに違いない。

 
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