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2016.03.11 (Fri)

『保育に欠ける』児童

戦後の農村は、都市部の国民よりも豊かな生活であっただろう。
なにしろ自給自足で生活できる強みがあった。
都市部からは、大事な衣類などを持参して、物々交換で糊口を凌ぐ人達が。

兎に角、毎日が野良仕事で生活している。
給料取りで生活している人は皆無だから、田んぼや畑で365日だ。
現金が必要な時は、米を売って現金化する。

吾の家では、田んぼが75アール、畑を50アールほど耕作していた。
綿花を収穫して種を省き、綿打ち直しに出荷する。
ゴマから落花生、生姜など生産できないものはない。

大きな樽には自家製の醤油が入っていて、必要な時には栓を抜く。
唐芋飴は、梅雨時に練り上げ乍ら作ってゆく。
正月が明けると切り餅を干し、伯父に送っていた。

夏にはウナギの蒲焼や『カニ巻汁』が毎日のように食卓に上がる。
奥の間には蚕が飼ってあり、桑の葉を与えるのは吾らの役目だった。
そして、絹糸を紡ぎながら祖母が反物を編んで行く。

木戸口には茗荷が生え、秋の軒下には干し柿が吊るしてある。
漬物も、沢庵から白菜、高菜と豊富に食卓を賑わした。
そして冬には薪を運び、椎茸を収穫し、柿の渋抜きを味わう。

何から何までも自家製で賄うことができた。
それでも毎日のように魚屋が商品を運び、代金として白米を受け取って帰る。
現金が無くても、田んぼや畑に頼れば生活が成り立っていたのである。

それでも子育てはやらなければならない。
吾は双子だったから、出かけるときには弟を祖母が、吾を母がおぶったらしい。
農繁期には、家の板の間に柵を拵えて放置しておく。
或る夕刻、母が帰宅したときに糞に塗れたままで、二人が眠っていたという。

よちよち歩きの子供を、田んぼの周囲では面倒見きれない。
その時は田んぼの作小屋で、縄にくくりつけていたらしい。
どこの農家も、同様の光景だったのだろう。

吾が小学校に通う頃も、畑の隅で遊ぶ子供を見かけた。
中には、地面スレスレのハンモックに寝かせつけられた赤ちゃんもいる。
が、一番年長の兄姉が、熱心に面倒をみていた。

農家の次男坊、三男坊は、耕す農地がないから日稼ぎに出るしかない。
一日の労働で稼げるカネは、とても一家を養う稼ぎではない。
為に、女房が野良仕事の日稼ぎか、近所の子供を預かって面倒をみる。

昭和の40年代になると、『託児所』なるものが出現してきた。
酒谷の児童館は、農繁期の『季節託児所』が保育所に昇格したものである。
そして、正規の保育所が運営される時代になる。

つまり、保育所の出現は、農業だけでメシを食って行けなくなった時代を象徴する。
現金収入を求めて労働に勤しむ時代へと変化したのである。
まったく現金が無用だった時代から、現金がなくては生活が立ち行かない時代への変化だ。

今の時代は、どうだろう。
自家菜園で副食を補い、水田で主食を賄っている家は皆無に近い。
一歩、外に踏み出せば、それこそカネ、カネ、カネの時代だ。

そうなると、生活の為に勤務し、現金を稼ぐ必要がある。
稼ぐには、夫の収入で成り立たない家庭、夫の居ない寡婦世帯も同様の苦労がある。
兎に角、一人でも、夫婦でも、現金収入を求めて家を空けるのである。

空けたら、面倒見なければならない子供が居る家庭はどうなるか?
昔のような3世代同居ならば、誰かが子供の面倒を見る。
が、夫婦と子供だけの家庭が当たり前の時代だから、託児所が必要になる。

保育所は、『保育に欠ける子供』の面倒を見る為の施設だから、家庭で面倒見れる子供は預からない。
が、家庭だけの保育では『就学前教育』に不安な保護者もいる。
それを補うのが幼稚園だ。

保育所は、『厚生労働省』の所管で、幼稚園は文科省の所管。
吾が県議の時、就学前教育としての『幼保一体化』に取り組んだことがある。
今では制度そのものが変化したのか否か、知る由もないが。

短大を卒業すると、『教職課程』を経ておれば幼稚園の先生になれる。
保育所は、保育士の資格がないと勤務できない。
一時は、幼稚園教諭は『雨後の筍』の如くに溢れていた。

が、保育士の数は足りてていても、保育所の空きがないらしい。
先日も、保育所の入所に落選した保護者の書き込みがあった。
一方では、保育所の定数を満たしていない市町村もある。

安倍さんは、『女性活躍社会』『一億総参加』を標榜し、政策の柱に据えている。
が、その前提となる施策が不徹底では、国政への信頼を無くしてしまう。
どうして、政策が首尾一貫して遂行されないか?疑問でならないのである。

託児所ならぬ『託老所』は、盛況のようだ。
介護保険の適用なのだろうか、毎日のようにデイサービスの送迎が賑わっている。
家庭の事情があれば、『ショートステイ』で預かってもくれる。

高齢者への施策と児童福祉施策にチグハグになってはいないか?
使い古した、吾のような世代も大事だが、次代を担う国民への施策はもっと大事だ。
預かってくれる保育所がなくて、働きの場から遠ざかる若人がいるようではいけない。

吾の長女は共稼ぎで、小学生二人の娘を放課後保育に預けている。
両親が終業し、迎えが来るまで預かってくれるらしい。
お役所仕事ではなし、民間の施設のようだ。

保育も、休日保育、夜間保育と、窓口を拡げなければいけない。
そういうニーズに応えるために、法の改正も含めて対応すべきだ。
保育所も、幼稚園にも、まったく縁のなかった吾が思うのだが。
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