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2016.02.24 (Wed)

承前

中選挙区時代の宮崎第2区。
小林の小山長規先生、都城の瀬戸山三男先生。
記憶に間違いなければ、二人とも『婿養子』ではなかったか?

小山先生は、金融関係の出身で、経済や商工関係に明るい。
瀬戸山先生は、天草出身で、元々は裁判官だ。
が、人格高潔で、霞が関や永田町の評判は高い二人である。

日南市長選挙では、瀬戸山先生が井戸川、河野と、候補者を立てて争った。
対する小山先生の方は、河合氏を押し立て、河野の選挙では実兄が敵の参謀長に。
商工会議所会頭で、兄は小山直系だった。

小林市でも串間市でも、市長選挙は国会議員後援会の戦いでもある。
自治体政治の中枢を握り、後援会を強固にして次の衆院選挙に備えるためだ。
が東京では、代議士同士が相睦み、健闘を誓い合う。

どっちの子分が勝とうとも、後援会組織が固まってゆく効果を喜んでいる。
つまり、国政選挙を睨んだ『代理戦争』なのである。
しかし、小山、瀬戸山の両先生は、互いに存在を認め合い、尊敬しあっていた。

国会議員が当選を重ね、永田町で頭角を現してゆくには、相応の努力が要る。
努力するには、選挙区が盤石で、後顧の憂いが無い体制が必要だ。
その、『盤石さ』に対して、議員は恩返しし、仕事に励むことになる。

吾の住まいする日南・南那珂地方は、その点に欠けていた。
選挙の度ごとに離合集散を繰り返し、裏切ったり、裏切られたり。
不動の支持ではないから代議士も信用しないし、信用しなければ仕事もしない。

瀬戸山は、建設大臣に就任すると『九州自動車道・宮崎線』をブチ上げた。
縦貫する自動車道を、えびので分岐させ、宮崎市に向かわせるのだ。
予算委員会で『政治路線だ!』と追及されたが、『悉くが政治路線ですよ!』と、平然としていた。

瀬戸山の後を襲って建設大臣に就任した小山も、着々と宮崎道の建設を進める。
小山の地盤、えびの市、小林市、そして瀬戸山の地盤、都城まで僅かに5年余で開通。
それも『暫定2車線』ではなしに、当初から『100キロ規格の2車線』だから驚く。

宮崎市から県北への延伸を狙って、県は『一ッ葉有料道路』を建設する。
九州道宮崎インターから有料道路を経由し、延岡まで高速道でつなぐ。
それが、瀬戸山と黒木知事の計画だった。

が、現道改良を主張する宮崎第1区の江藤隆美先生は、高速道にマッタをかけた。
以来、県北の高速道建設は頓挫し、県北の発展を遅らせたのである。
『政治の先見性』が欠如する結果の『見本』と言える。

同様の例が、南那珂地方にもあった。
鰹、マグロに湧き、飫肥杉の弁甲材で豊かだったこの地域は、札束を枕に眠っていた。
世の中、景気が悪くなっても、鰹やマグロが取れなくなっても、眠っていたのである。

商人が百姓にカネを貸す。
貸したカネが返済されなければ、担保に山を押さえる。
その山が、弁甲材として高くで売れるから、忽ち、金貸しは小財閥となる。

その小財閥の懐を当て込んで、当時、銀行から信用されていなかった自動車関連が近付く。
『宮崎県で車を売りたいが、代理店を引き受けてくれないか?』と。
小財閥は引き受けて、銀行に掛け合い、『宮崎○○』という自動車販売会社を立ち上げる。

が、自動車時代の到来で、空前の売り上げを伸ばす自動車関連。
瞬く間に本社から乗り込んで、世話になった小財閥を追い出してゆく。
今では、数えるほどの株式しか小財閥は所有していない。

あの当時、小財閥が 『ならば、日南に自動車部品工場を建てろ!』という条件を出したら、どうだったか?
恐らく、各メーカーともに関連する工場を作っただろう。
さすれば雇用が発生し、人口も増え、工業都市として現在があったかもしれない。

先日の学友会総会でも出たが、『平気で客を待たせる所、欲しければ売ってやる!という態度』と日南を批判。
この『殿様商売』もまた、当地の発展を阻害してきた。
そして、不当に高い『地価』、空き地ばかりなのに土地の値段だけは下がらない。

その『積極進取の気概』に欠ける弊害は、政治の面でも顕著である。
他の地域の人から『異常だ!』と云われる、社会党勢力の強さ。
全国で0,2パーセントの支持しかないのに、日南だけは圧倒的勢力を誇る。

が、『志布志湾開発反対!』『串間原発反対!』『自衛隊油津寄港反対!』と悉く国策に反対してきた。
『豊かなんだ!』 『腹イッパイ、飯が食えるんだ!』という驕りもあるだろう。
が、気が付いたら、南那珂だけが『高速道時代』から取り残されていた。

中選挙区時代には、西諸、北諸の代議士の為の運動を、地元に住む人以上に狂ってやった。
が、代理戦争をやっている弊害で、南那珂は統一を果たせない。
しかし、西諸、北諸は、いつまでも団結心旺盛で、地域の課題に郷土を挙げて取り組んできた。
茲に、南那珂の今日由来があり、発展を阻んできた要因があるのに、住人は気付いていない。

『レストラン、寿司屋に挟まれたラーメン屋』が口癖だった小渕恵三さん。
中曽根、福田がトップ争いをする選挙で、社会党の田辺の後塵を拝する4位当選。
定数4名で4位当選だが、得票は3万票台しかなかった。

それでも、福田、中曽根、小渕と、三人共に総理大臣に就任した。
中選挙区の利点は、互いに切磋琢磨するところにあると思っている。
常に政策を競い、支持者の声を耳にし、永田町に届ける役目を忠実に果たす。

それが、小選挙区制になって不足してきた!と、多くは嘆く。
極論すれば、国民と、国政を担う人との距離が遠くなったということだろう。
そして、いつの間にか『名も知らぬ人』が国会議員に座っている。

中選挙区時代には、開票速報をみていても、殆どの代議士の名を知っていた。
が、現在では皆目、見当も付かないし、関心も失った。
テレビでは、相も変らぬ低俗議員のニュースばかりである。

でも、選ぶのは国民。
そのレベル以上の政治家は生まれない。
生まれるのは、『新党』だけ。

党が先にできて、存在を示す綱領や政策は後から付いて行く。
『民主』というフレーズに拘っているが、民主と独裁は対極にある。
が、共産主義と独裁は、密接不可分なのである。

その共産党と一緒になって、政権を獲ろう!という訳だから民主を冠できない。
でも論理的ではない『野合』だから、『民主共産党』でも、面白いかもしれない。
どうせ、秋までの短い旅なのだから。
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