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2016.01.01 (Fri)

『利』と『義』

もう、何年前だったか忘れたが、日南市元・幹部から電話で『相談に乗って欲しい!』と。
串間の福祉施設理事長、そのご子息の内儀を伴って、飫肥の堺寿司に。
『特老を造りたいが、県の許可が下りない』と言う。

下りない理由を聞くと、同郷の同業者が県の特老関係の会長をしていて!と言われる。
その会長も申請を遅れて出したらしく、許認可を先取りしたいらしい。
翌日、県の担当課長に質すと経過を認めたから、『双方とも保留にするよう』求めた。

吾の地域が秋祭りの当日夜に前・串間市長と、件の会長が来宅された。
途中で道を誤ったのか、高級車の前部が凹んでいる。
元・市長が飫肥杉を呷る隣で、ひたすら『会長』は頭を下げた。

『それでは双方ともに建設認可は出す!が、会長のは2番手でいいんですね!』で決定。
相談に見えた方に連絡すると、『ありがとうございます』と平身低頭。
続けて、『知り合いにゼネコンはいらっしゃいませんか?認可設計と実施設計が必要で』

以前、知り合いの特老建設で実績のあるN中堅ゼネコンを紹介した。
そして、認可が下り、発注である。
入札日に吾の事務所に、『お陰様で落札できました』と挨拶に来たのは、まったく別のゼネコン。

なんのことはない。
吾が紹介した業者は、認可を取るための設計書を書かされただけのことである。
多分、落札業者からは多額のバックが条件になっている筈だ。

それにしても、さんざん利用しながら『指名』にも入れないなんて『仁義』にもとる。
それだけでは済まなかった。
起工式から落成式まで、吾には何らの連絡もない。

途中の選挙で、大量の『後援会名簿』が寄せられていた。
が、事務所が当たると、殆どが『知らない!』と言うから、何かの名簿を書き写したのだろう。
経緯を知った一人の理事が、その法人理事を退任した。

吾は、多くの相談に預かるが、『利』によって動いたことはない。
知己の依頼、知己を通じた依頼、いろいろだが依頼されたことには努力する。
結果的に、『反社会的』なことであっても、動いてきた。

それは、『信』という『義』に基づくものだろう。
結果的に、『利』に繋がったとしても、出発は『義』である。
政治的行動の、すべての原点が『義』であったと自負している。

政策の実現では、期成同盟会などの要望を受けるものもあれば、自主的考えに基づくものもある。
吾の場合は、前者よりも後者で、日常に考えていることを具現化していった。
隈谷のふるさと農道、中山間地域活性化事業、交差点改良や登坂車線設置。

棚田を売り出すこともそうだったし、道の駅建設発想も吾が言いだしたものだ。
発想し、具現化するには制度事業を導入しなければならない。
多くのメニューから、行政と共に選択するのも具現化へのプロセスだ。

が、完成しても、吾の努力とは知らない。
知らないうちに、俄か功労者が表に出て『利』を得ることになる。
中国の故事とは違って、『井戸を掘った人』は忘却の彼方だ。

でも、政治は『利』ではなく、『義』を重んじてやってきた。
吾が政治に踏み出した『意義』、支持者への『信義』、そして邪悪を許さない『正義』
まぁ、すべての根底には『主義』があるのだが、今は最も失われている部分ではある。

が、選挙民の方はどうだろう。
『地域が良くなる!』『社会が良くなる!』と、選挙と政治に期待する有権者は少ない。
己に、『利』が、どれだけ返ってくるか! が判断の基礎である。

選ばれた政治家も、『利』によって動く。
議会議員2年目になると、議会内の役職をめがけて動き出す。
正副議長適齢期に当たる議員は、1年前頃から、その準備に余念がない。

吾は、そのような準備活動をしなくて議長に就いた。
多分に、熱心な支持者が、吾に代わって段取りをして頂いたのだろう。
まったく、篤い友情に頭が下がるが、未だにお返しをしていない。

もう、人生の終焉期に入ったが、悔い無きことは『信念』を曲げなかったこと。
大衆にオモネて迎合し、己の主張は曲げなかった。
それこそ、選挙を支えてくれた方々は、『利』とは無縁の奉仕の精神だった。

それだけに、政治の世界を去ると、支援者の『義』が輝いてみえる。
そして、己の政治姿勢が『利』を求めた政治生活でなかったことも。
今の貧しい生活を見ると、いささか強がりだろうが!

『義』とは、儒教でいう仁、義、禮、智、信、すなわち五常のひとつだ。
私利私欲を捨て去り、人と人との信義に重きを置き、公の為に何が出来るか?
これを行動原理の中心に据える。

が、義が高じると『理』になる。
理が高じると『徳』が不足する。
『徳』が不足すると、人の上には立てぬ。吾が市長選に敗北したように。

『利』は行き詰まるが、『義』~『理』~『徳』に至る道筋は険しい。
『徳』までに至らなかった自身の反省だ。

本年も、ご指導、ご鞭撻賜りますように、伏してお願い申し上げます。
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