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2016.06.27 (Mon)

先見の明

昨日は、集落の行事である『カネオリ』が催された。
午前中は、小松山から引いている上水道路線の草払いなどが。
先日、断水したことについて、集落外の水使用者への不満が相次いだ。

そもそも、小規模水道施設整備事業での敷設を市に願ったのだが、やる気を示さなかった。
『井戸を掘り、2段階方式でのポンプアップで揚げ、貯水池から逆落としに!』という吾の意見。
そのほうが、浄化された伏流水で、枯れることも無いからだ。

が、市役所のT補佐は『難しい』と言っただけで、対案は示さなかった。
示すも何も、造る気構えがないのである。
あの時の手法で建設すれば、10年ごとにポンプを入れ替え、電気料を払えばコト足りた。

中山間地域総合整備事業を導入した時は、養鶏、柑橘園など『飲雑用水』の裏付けに悩んだ。
今だから言うが、人員、農業内容、水の用途、すべてが作文だった。
それを知っていて、『水に不自由する集落を助ける』という意識で振興局が取り組んでくれた。

集落内生活道は元より、水道管理用の林道など、総額は1億円を超えた。
その時、『道の駅』は、真下に湧き水を探し、そのシラス水をポンプアップする手段に。
が、冬場には枯渇し、消防ポンプ車の出動に頼ったのである。

吾の唱えた『ポンプアップ方式』とは似て非なるもので、笑止な子供騙しである。
吾が言っていたのは、石原川の傍に井戸を掘削するのである。
市役所の『道の駅』水源は、湧き水を溜めてポンプアップ、裏付けが稚拙すぎる。

石原川沿いに井戸を掘っていれば、集落のランニングコストは僅かで済んだ。
『欲しい!』とは願わずに、黙って盗んだ道の駅水道も、安上がりで使用できたはずだ。
市役所課長補佐の『先見性欠如』がもたらした人災が続いている。

昨日の直会では、『酒谷中』跡地利用について意見を求められた。
『酒谷支所の移転や高齢者利用の場所として、論議されているが?』と云う。
『今より不便になる支所移転は望めないし、高齢者も居なくなったし!』と吾。

『耐震は大丈夫なのか?』と聞くと、『大丈夫だ!』と云う。
『だったら都会の引きこもり児童でも連れて来て、自然体験で共同生活させれば!』と。
行政が関与する必要はない。 NPОにでもやらせればいいことだ。

そういえば、日南農林高校の跡地は、『太陽光発電施設』が出来ただけらしい。
『異様な光景で、別な利用方法はなかったのか? あれじゃあ食い逃げだ!』と云う人がいた。
吾は、農林水産業の行政機関を集合させれば、と思っていたし、森林組合の移転利用もあった。

日南振徳高校の跡地には、市の消防本部が移転したらしい。
吾は深刻に受け止めていないが、『南海地震』を見据えてのことだという。
見据えていれば、『何故、あの場所が適地であるのか?』判然としない。

あれより上流、飛が峰川と酒谷川が合流する太田川地区は、小字が『上汐満』となっている。
昔は、潮が満ちる上端だったということだろうから、当然、津波も到達する。
あの上端に到達するならば、消防本部も潮で囲まれる。

本部は安全でも、産業道路、県道が使えないから、出動も出来ない。
非常救難に出れない消防が、自衛隊の援助を待つなんてことにならないよう願うだけだ。
やっぱり、あの場所で大丈夫だという、理論的裏付けがあるのだろうが。

市役所の建て替えも、現在地で進められるという。
ELを承知していないから何とも言えないが、『市民避難タワー』を備えたものだろう。
『消滅自治体に豪奢な市役所』、とはならない機能的な庁舎にして頂きたいものだ。

油津港の港湾計画が論議された時、『費用が掛かりすぎる!』という指摘があった。
つまり、『費用対効果』で、見通しが無いということだろう。
港湾整備予算が、公共事業削減の時期と相まって削減され、整備が頓挫したのである。

今、油津港の実態を見遣ると、『王子製紙専用ふ頭』である。
貨物基地の中心に『チップヤード』が鎮座し、他を睥睨している。
クルーズ船も、未舗装荷上場に追い遣られ、飫肥杉の集積場所も無い。

『ケーソン』というコンクリート製箱を沈め、そこに捨て石を置き、埋め立ててゆく。
ケーソンを沈める前に、ヘドロと砂を入れ替える『強制置換』に莫大な経費をかけた。
メートル単価が数百万円という、とてつもない工費である。

吾は、『沖防波堤から捨て石を沈め、一定の場所を確保してサンドポンプでヘドロを流せ』と。
20メートルの矢板を捨て打ちし、囲みの範囲を埋め立てれば濁りもない。
捨て石の隙間にヘドロ、その上に池ゲ山を削り取った土を埋めてゆく。

そうすれば、マイナス25メートル級のふ頭が、数十ヘクタール造成できた筈である。
今、県北の細島港が、木材で溢れ、荷上場もない程である。
志布志の港も飽和状態で、宮崎県産材が締め出しを食いかねない。

『なんで、油津港を使わないのか?』と問われる。
使う場所がないのである。
今少し、港湾整備計画を充実して貰うか?それとも福島港を『地方港湾』から『重要港湾』に格上げさせるか。

石原慎太郎の著した『天才』が売れているという。
田中角栄・元総理を描いたものである。
彼は、先見性に裏打ちされた政策を展開、『コンピューター付きブルドーザー』の発想は貴重だった。

今、国の政治をみても、地方の政治を眺めても、将来の姿を教えてくれない。
10年後、20年後に、国の姿はどうなっているのか?
宮崎県の姿、日南市の姿は、どうなっているのか? 指し示してくれないのである。

示せない!ということは、示す将来像がないということだろう。
『創客、創人』などという、抽象的な言葉の遊び!ではなしに、具体的に示して欲しいのである。
将来像も示せない郷土に、そして地域に、『住みたい!』という願望は持てないだろう。

将来を描くから、現在の政策を描ける。
『イヤ!あるんだよ!』という為政者がいれば、それを人々に示すことが政治の原点ではないか?
未来像を示さない地域に、『明日は無い!』と思う。

みんなも、そう思っているから、酒谷中跡地利用でも、具体案が浮かばないのである。
農林高校跡地にしても、『行き当たりバッタリ』だから、臍を噛む結果に終わる。
『行き当たりバッタリ』ならば、誰にでもできること。
為政者を、選挙で選ぶ必要もないではないか!

先見性に溢れ、それを実現する道筋を示す。
リーダーは、かくあるべし。



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