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2016.03.29 (Tue)

募金

春の甲子園に、郷土の日南学園が出場した。
1回戦で生憎と惜敗したが、夏に再び出場を果たすことを期待したい。
郷土の代表が大舞台に進むと、応援団を含めて多額の資金を要するらしい。

新聞の『募金広告』を見ていたら、吾の所属する経済団体と、代表の吾の名が。
単なる充職なのだが、事前に了解が求められていないと面食らってしまう。
が、それなりに『団体寄付』は、させて頂いた。

こういう『支援募金』は、各方面から複数に求められる場合がある。
そうなると、そっちの面子も立ててやらねばならないから、一度の出費ではない。
が、寄付金や募金が、如何なる使い方をされ、収支はどうだったのか?拝見したことはない。

ある小学校では、少年野球が那覇に親善試合に出場することになった。
市の行政が『姉妹都市』の盟約を結んでいるから、毎年、交互の開催だ。
親善友好試合で派遣されるのだから、当然、派遣に係る費用は行政が持つ。

持つべきだと思うが、行政や市議会関係者の旅費は全額が公費。
なのに、派遣される選手の旅費は、大部分が親の負担となる。
かといって、保護者に全額出費させるのは?ということで寄付を募る。

その募金方法は、『物販』による差益確保なのだそうだ。
勿論、現金にこしたことはないが、必需品と思われる品を販売し、益金を旅費に充当。
『親善友好』とは言いながらも、役所はいつまでも『官尊民卑』なのである。

吾の住まいする地区は、自治会費の中に各種の募金が含まれている。
『日赤』『赤い羽根』など、社会福祉などの負担金である。
これは、善意で出す『募金』に非ず、強制的な『搾取』だろう。

納める掛け金が少なくて、少額の年金を手にし、保護に頼らず健気に暮らしているおばあちゃんが。
普通ならば、区費そのものを免除し、集落の行事にらも参加させなくてもいいだろう。
が、容赦なく区費を徴収され、募金も負担させられている。
かつて、集落の総会で、『本来、福祉助成を受けるべき方への負担はおかしい!』と申し上げたが。

一度、議会での勉強会で、『日赤などで集めた金額、そして人件費などに要した金額』をお示し願った。
つまり、募金で集まったカネの幾割が必要とする人に渡り、中間の経費は如何程か?
必要経費を除けば、恐らく半分をも目的に使われないだろう。

BSの番組を視ていると、コマーシャルに『ユニセフ』の広告が多すぎる。
喘いでいる子供を映し出し、『アナタの善意が、この子の命を救う』である。
思うに、あれだけCМを流すカネがあるのなら、そのカネを救済に廻せばいい!

このユニセフには、県議時代に毎月、3千円が天引きされていた。
相談に見えたのは財界の方だったが、年1回の会合で示される資料では必要経費が太宗を占める。
事務局の方々は、県のОBだったと思う。

先日は、県緑化推進機構の総会が開催された。
募金目標額4千万円だが、半分以上は人件費で消えてゆく。
やたらと組織が多いが、もう少し整理すべきだなぁ~!と会場で思案する。

吾は、酒谷小学校PTA会長の折り、『酒谷小みどりの少年団』を率いて夷守台に。
野営一泊のキャンプだったが、県下の児童が一堂に会して自然を満喫。
今の時代は、『危険だ!』と止められるかもしれないが、生きた自然体験だ。
その費用も、その推進機構から援助されている。

援助といえば、『日中緑化交流基金』が暗礁に乗り上げているという。
小渕総理が提唱して設立されたらしいが、今までは日本だけが資金を拠出。
経済大国第2位の中国に応分の分担を求めたが、拒否されたという。

年間に90億円を拠出している事業。
効果が無いことは、乱開発やPМ2・5をみれば明かだろう。
畑の周囲にポプラが並ぶお国柄、石炭は燃やしても木材に依存した歴史はない。

が、不毛の山が連なる中国を『緑化』するカネがあるなら、国内に廻すべき。
バイオマス発電の需要、中国木材の進出で、県内の山林は『乱伐』に近い。
が、負担が大きいので、山主は再造林に二の足を踏んでいる。

再造林されなければ、国の政の要諦である『治山治水』は果たせないだろう。
そして、地球温暖化防止と云う、世界への目標値も果たせない。
山が荒れれば農村も荒れ、国土全体が病んでくる。

山林の皆伐は、重機で施業する。
重機が歩くたびに、山肌に段差が生まれる。
その段差が、無残に崩れ落ちたのを台風被害を上空から見たとき、恐怖した。

おそらく、植林されずに放置され続ければ、大雨で『山津波』を引き起こす。
山津波は、数キロを下って民家に迫るは必定。
その時に、植林を怠ったことを悔いるだろう。

日本の政治に『先見性』はない。
ないから、『悔いる』ことから、政治を始めている。
それを、『悔い改める』と呼ぶ。
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2016.03.26 (Sat)

民間療法とサプリ(承々前)

吾と同い年の県庁職員がいた。
優秀で、県の教育長まで登ったが、吾が県議になった時分は財政課に。
途中で腫瘍を患い、休養していたことも。

委員会での懇親会が催された時、病状回復について語った。
シーガルという会社が販売している『ミネラル水』を飲んでいるという。
が、飲用しているのは彼だけに止まらなかった。

別な会合でも同様の話を聞くのである。
『女房が乳がんだったが、癌が消えていった』
『糖尿病で重症だった者が、完全に復している』というものだ。

シーガルは、福島県に存在する。
事務所からファックスで注文書を送付し、着払いで送って貰ってた。
人には教えなかったが、幾人かが求めに来られる。

商売している訳でもなし、相手先の連絡方法を教えて独自での注文を願った。
が、『血糖値が下がった!』 『女房の腫瘍が改善された!』と事務所に。
2か月に1度ほど、県内での講演が案内されるが、詳しく知らない。

知らないが、吾の体重から推して『一日40㏄』を、朝に呑んでいる。
呑んでいるが、なにがどう改善されたのか判らない。
けれど、悪い方向に進まない予防としての飲用だと、もう20年続けている。

頼母子講で古沢君が、『裕一ちゃんはウコンを呑んでいるからγが上がらない!』と口癖のように。
確かに、ウコンにガジュツと云われるものを混合して呑むこと久しい。
建具屋の高妻さんが自家栽培で製造し、分けてくれるのである。

γ数値は、高い時には62くらいだったが、古賀クリニックの院長は『あれだけ呑めばなぁ』と。
『晩酌3合、宴会7合』だと言っていたが、宴会では1升に届いていたかもしれない。
『二日酔い』を、若いころのように感じたことがないから、毎日、呑めるのだ。

が、その過信が良い筈がない。
肝臓の臓器は硬くなっていないが、アルコール性肝炎に冒されたのだろう。
家での飲酒は控えているが、予想したようには苦痛を感じない。

口に入れる食物には『発がん性物質』が含まれて、徐々に内部から蝕んで行く。
外食産業の発展と共に、難病、奇病、腫瘍が蔓延してゆく。
やっぱり、自然の食品、無農薬の野菜、天然の食物を口にする習慣に戻らなければならない。

癌の予防には、昔から椎茸、ブロッコリー、キャベツなどが良いとされてきた。
つまり、体内の『免疫力』を高める効果が顕著だということだろう。
『荏胡麻(えごま)』が良いというから、先日は伊香保から買ってきた。

県森連の参事が、『従兄にプロポリスを贈ったら効果があったらしい!』
それも、オーストラリアでユーカリの蜜を元にしたプロポリスだという。
早速、豪州ドル建てで注文しておいたが、届いてはいない。

免疫力といえば、ニンニクだろう。
『黒ニンニク』と呼ばれるらしいが、黒焼きにしてニンニクを食べる。
ある店先で値段を見ると、1個が500円以上するではないか!

炊飯を伴わない、保温だけのジャーを買ってきて、自身で黒ニンニクを作っている。
『倉庫中にニンニクの匂いがする!』とカミさんから不興を買っているが、吾には匂わない。
昨年も、今年も、畑には数千本のニンニクが育っている。
まともなのが、どれだけあるか判らないが!

テレビのBSを視ていると、コマーシャルの殆どが『サプリメント』の紹介である。
老いの悩み、老いの日常を映し出すCМばかりで、老後資産を標的にしている。
『効果が出ない』と言えば、『続けなければ!』で済ませる。

が、病院を覗くと圧倒的にお年寄りが多い。
昨日は、会議の合間にイオンの本屋に寄り、フードコートで昼食を摂った。
老夫婦がアチコチのテーブルを占め、暇を潰すかのようにユックリの食事。

節々が痛くなるとサプリを飲み、肩が凝るとサプリを飲むのだろうか?
前に書いた元・教育長に『男の若さを保つには?』と聞いた。
『亜鉛だね!』  ただ一つ、サプリは小林製薬の亜鉛だけ呑んでいる。

先日、ラジオの『ゴーゴーニュース』で、「墓の需要」をやっていた。
『千の風』が流行ってから、魂は墓に居ないんだ!と、墓地が売れないらしい。
そりゃあそうだろう。
『家は3代』『墓は永代』と云われたのは過去で、墓も3代で『墓じまい』なんだから。

生も死も、『自然の摂理』である。
あらゆる生物は、生と死を繰り返しながら進化を遂げてゆく。
だから、死の原因も、絶えず、絶えず、変化してゆくだろう。

昔の結核は、不治の病だった。
が、完治するようになったら、急激に癌患者が増え、命を落としてゆく。
つまり、死を克服できる医療と云うのは、永遠に存在しないと言っても過言ではない。

ならば、病と闘うこと、サプリに頼ることは無益なことなのか?
そういえば、禁じられているアルコールを呑んだ翌日は、いつになく爽快である。
06:57  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.25 (Fri)

民間療法とサプリ(承前)

上杉先生が参院議員の頃、自治省の中堅幹部を招いて懇談会をもった。
場所は、宮崎港近くの焼肉屋で、宮崎牛の高級肉を供している。
中堅幹部といっても、やがては次官か局長に就任する候補者である。

吾の前は、『遠藤審議官』だっただろうか?後に次官に就任している。
『あれっ! なぜ坂元さんは喰わないの?』と訝る。
仕方なく大食いをして、久しぶりに肉を味わった。

日南市の飫肥に、谷口さんが経営する『元祖・とんちゃん』があった。
御内儀の味付けで、味噌とニンニクなどを混合して味付けしてある。
牛のホルモンだから、癖はないし美味い。

どのように研究し、試しても同様の味が出ないのである。
店で、呑んだり食べたりもできるのだが、自宅に来客がある時には注文する。
串に刺して、こんがりと焼き上がった串を持ち帰ることもできる。

串に刺さった肉の合間が焼けていなかったのか、蕁麻疹が出た。
それから肉を食うたびに蕁麻疹だ。
自民党控室で炒飯を食べ、目に見えないくらいの豚肉が混入しててもアウトだ。

定期的な頼母子講では、猟師が多いから猪の塩焼きが出る。
吾の大好物だが、涎を流しながら我慢する。
6年間、四足の肉を我慢しての、自治省幹部達と、である。

案の定、議員寮に宿泊しての朝方に、蕁麻疹に襲われた。
身体の柔らかい部分から全身に、大きく腫れたようなブツブツが廻ってゆく。
日南への帰りは、途中で運転を止めなければならないほどに痒かった。

油津の河野医院に向かう。
注射で蕁麻疹を治めて貰う算段だ。
院長が、議会の様子や政治について語りかける。

『それどころじゃあないんですよ!肉を食って蕁麻疹が!』と苛立つ。
が、院長は『そんなことがあるものか!』と平然としながらも注射を打ってくれた。
肩と尻に注射すると、信じられないくらいに納まっていった。

ある人が、『ヤマモモを熟れないうちに塩漬けし、それを肉を食うたびに食べればいい』と。
青いヤマモモを採ってきて、融けないくらいの量の塩を入れた。
それから一度も、肉で蕁麻疹が出たことはない。

下刈りの請負をする石山政徳さんは、ヤマモモの塩汁を容器に入れて持ってゆく。
下刈りで蜂に刺されたとき、直ぐに塗れば痛みもないし腫れない。
吾も、ムカデが布団に堕ちて来た時、咄嗟に試したら異状はなかった。

アララギという木がある。
その葉も枝も皮も、全ての部分を陰干しして煎じれば『強肝作用』があると聞いた。
本家の内儀が、ザルいっぱい持ってきて提供してくれた。
道の駅でも売っていたし、吾も山に5本ほど植えた。

或る時、山仕事から帰りに坂元徳夫さんが来て、『焼酎を馳走して!』と。
呑みながら、『裕ちゃんも相当な焼酎飲みだが、肝臓の薬はのんじょるか?』と聞く。
『うん!アララギを煎じて冷蔵庫に入れてある。』
『そうかぁ~!あれが一番効き目があるなぁ~! でも勃たんようになるよ!』

マタタビという蔓性の植物があって、山奥の谷川沿いに這い上がっている。
茶の実に似た、硬い実を付けているが、それを焼酎に漬ける。
ホントかどうかは知らないが、果実を食し、元気が漲った旅人が立ち上がるから『又旅』だと。

先妻は、『喘息』の持病を抱えていた。
同病の平部武身さんは、『赤松の葉を焼酎に漬けて飲めば軽くなる』
そう言って、三股境の山奥まで登って『松葉』を持参してくれた。

が、吾が焼酎に漬けたけど、そのまま何年も放置されていた。
治癒を願う気持ちが無かったのだろう。
平部さんは、咳も止まり元気になられたが、既に鬼籍に入られた。

近所の守永林さんの御内儀は、糖尿病の気配があった。
血筋を心配されていたのか、病気とは思えない状態だったが、『銭コケ』か効くと聞いた。
田んぼの石垣や柿の幹に付いている『銭苔』を採って持って行ったことも。

吾が、地鶏の放し飼いをしている時、ヒビの入った卵や二黄卵がある。
母は、黄味だけをフライパンで炒りあげて『卵油』を作っていた。
余りにも売れ行きが良いので、容器にラベルを張って売り出した。

カプセルに入れても溶けないから、持ち運びも良かったのだろう。
遠くから電話で注文が舞い込むこともあり、母は対応に苦慮していた。
なんの効果があるのか知らないが、最近、『卵油』の話も宣伝も耳にしない。
16:33  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.24 (Thu)

民間療法とサプリ

今で言えば『ふくらし菓子』だろうか?『蒸しパン』だろうか?
幼いころは、『カステラ』と言いながら祖母がセイロ蒸しで造っていた。
『サッカリン』を多く投入していたことを覚えている。

『蜜源』というのもあった。
後で『チクロ』と呼ばれたものなのか知らないが、糖質の濃い添加物である。
店に行くと、赤色、緑色など原色の色を使った紙がある。

樟脳の匂いが強い『ニッケイ』の味がする。
この味も、紙の色も『工業製品』としての化学物質に違いない。
鐘を鳴らしながら自転車が走るのは、『アイスキャンデー』売りのオジサン。

割り箸に氷が巻き付けてあるが、鮮やかな色が涎を誘う。
あの甘さも、あの色も『化学製品』に違いない。
違いないが、大人も子供も、懸念無く口に入れていた。

吾が小学生の頃に、即席ラーメンが発売された。
丼に入れて湯を注ぐラーメンに始まって、茹で麺にして食べるもの。
便利さと美味しさで、瞬く間に流行していったが、汁はラードの塊に味付けが。

粉にしたジュースも売っていた。
冷たい湧水を注いで渇きをとったが、あれも化学合成食品だ。
そして『ニッケイシュ』と呼ばれた瓢箪形瓶に詰めた飲み物もあつた。

戦時中は、食べるものが無いから、木の芽や根っこなどを食していたという。
が、毒が無ければ優良なる『自然食品』である。
仕方なく、飢えに耐えかねて食していたのだろうが、その人達は長生きしている。

逆に、団塊世代のように戦後の『化学製品』を口に入れて来た世代は早死にする。
早死にまでとは行かないでも、色んな病魔に冒され始めた。
年々、伸びてゆく日本人の平均寿命は、もうそろそろ頭打ちに違いない。

団塊世代の『子供達』は、もっと寿命が短くなるのかもしれない。
ご飯を食べながらコーラを『御茶代わり』にしている、食生活世代だからだ。
千有余年の『日本人食生活』の歴史では、希なる『異物食品』と云えないか?

『人生50年』の時代には、生命を維持する最低限の食生活であっただろう。
その証拠に、『美食』に慣れた者の生存率は極めて低い。
死亡原因も、恐らく多くが『結核』や『脳卒中』などであったと思われる。

勿論、癌などの病もあっただろうが、現在の比ではない。
今日の『内臓疾患』は、『食するモノ』に最大の原因があると思っている。
今では、食品添加物は規制されているが、美食の風潮は進むばかりだ。

時代劇などで『御握り』を頬張るシーンがある。
真っ白いシャリで握られているが、果たして当時の精米技術で大量の白米が仕上がったか?
殿様でも、『麦の混じった飯』を食べていただろうし、その方が栄養価も高い。

毎日働き、出かけるときには歩かなければならない生活。
大部分が、『昼食』の習慣が無かったらしいから空腹は相当なものだ。
が、食事は『一汁一菜』が基本で、たまには『二菜』があったか?

寿命が短かったのは、栄養が不足していたのかもしれない。
当時の生き方としては、単に長命であることだけを願ってはいなかったのかも。
が、最大の『寿命差』は、病気治癒療法の違いではないのか?

当時は、『和漢薬』が中心で、勿論、大きな外科手術もない。
抗生物質もない時代だから、一寸した病でも死に至る。
特に、『心の臓』や『脳出血』を根治出来る技術は皆無だから、死は避けられない。

小学校から帰ってきて、農耕馬の飼葉を切っていた。
刃渡り50センチくらいの『飼葉切り刃』を、横たえて挟んで切る。
飼葉を束ね直しするのに、切り刃の手束を額で保った。

が、落ちてきてから、刃が右手の甲に当たる。
白い肉が見えてきたが、見る見るうちに血が滲んだ。
裏庭に走ってヨモギの葉を唾で揉み、傷口に当てて包帯で包んだ。

田んぼから帰ってきた母と祖母は、驚く素振りも見せない。
『オキシフル』といわれる液体で消毒し、『赤チン』を塗るだけだ。
そのうちに『カサブタ』゛が取れ復元したが、今でも傷跡は残っている。

風邪をひいても、ガーゼのハンカチに焼酎を沁み込ませ、首に巻いてくれる。
頭から布団を被せて汗を流し、その後に着替えれば風邪が抜けていた。
どんなに熱があっても、学校には通い、母たちは野良仕事に出かける。

『ゲンノショーコ』という草が吊るしてあって、『薬草』だと云う。
飲んだことはないから、何の病に効果があるか知らないが。
祖父は、『薬草』の類を信用していないのか、全くの無関心だ。

が、年に一、二度、『越中富山の薬売り』というのが来ていた。
大風呂敷を背負って、入れ薬の補充に来るのである。
が、使われるのは『正露丸』か『サロンパス』くらいだ。

便所に行くと、毎朝のように『下痢』の形跡がある。
祖父は胃腸が弱いのか、毎日のように下していたようだ。
毎日、バス停までの20分ほどを行き来するから、途中での便意を想像してしまう。

当時としては、『紳士然』としていたから、山の中にでも入るのだろうか?と。
今でも売ってあるが、『ビオフェルミン』というのが食卓に。
便意を催すことを避けるため、服用していたに違いない。

 
16:16  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.21 (Mon)

パワースポット

全国技能士会連合会理事会が開催されるということで上京。
が、搭乗入り口で『機材の故障の為、運行されません! 窓口に!』と。
カウンターに行くと、『11時の便に御用意できます!』

御用意ではないだろう! 頼んでもいない事態なのに、対応は上から目線。
『それでは1時半からの会議に間に合わない!』
『あっ!10時半の便が1席だけ空いておりました!』

もったいぶった言い方だ.最初から判っていたのに。
が、ソラシド主体の共同運航便だから、羽田では端から端まで歩く。
昼食の間も無く、市ヶ谷の会議場に直通。

3連休だから、群馬の娘の所に2泊しようと決めていた。
『本庄駅に迎えに行くから!』ということだったから、時間はたっぷり。
市ヶ谷駅ホームの蕎麦屋で、遅い昼食をとった。

『湘南新宿ライン』の快速で本庄まで向かうのだが、吾は高崎線に乗る方が快適だと思う。
新宿ラインは始発ではないから、並ばなければならない。
後部頭上から、間断なく咳する息が吹きかけられる。
3分の1はマスクをしているから、『インフル』か『花粉症』か?

本庄駅に到着する前に娘からメール。
『渋滞で遅れそうだから、北口で待っていて!』
駅前では、『戦争法廃止』のアジ演説と署名活動が。

近付いて署名を求めたから、『戦争法という法律があるの?』と。
『えぇ~下に戦争することを隠した法律があるんですよ!』
『貴方達もたいへんですねぇ~! 中国の為に署名活動しているんだから!』

『イヤ!長年守られてきた日本の平和が崩れようとしていますから!』
『そうですよねぇ~日本の平和は安保条約で守られてきたのだから、より強固にしないとねぇ~!』
『違いますよ!今までの平和は憲法第9条で守られて来たんですよ!』

『デモ、北のミサイルが飛んでくるかもしれませんよ!』
『そんなことはありません!その前に北の方が滅びることを知っていますから!』
『だから、それは日米安保と我が国の自衛力のお蔭でしょう!』

『イヤ!北は勝てないことには手を出しませんから!』
『デモ、南沙諸島に基地を造ったり、尖閣諸島を狙う中国は脅威ですよねぇ』
『イヤ、ちゃんと話し合いをしてゆけばいいんです』
『話し合いを待たずに、ミサイル基地を造ったじゃあないですか?』

何時の間にか娘が車を横付けしていたみたいで、強引に腕を引かれた。
まるで、徘徊老人を車に乗せるように。
『あの人たちは、何を言っても無駄な人達、人の意見は聞かないから!』
でも、もっと論争してみたかった。  できれば多くの聴衆が周りに居るなかで。

夜は、弟と呑んで他愛もない話をしたが。
『クローンだから!』と、吾の病気履歴を辿って検診し、異状ないという。
『互いに長生きしよう』と、約して別れた。

翌日は伊香保に行ったが、別に名所旧跡があるわけではない。
榛名神社に参詣することになった。
昨年だったか、森林組合で訪れたが、吾は参道入り口で待っていた。

今回は参詣門近くから入り、奥殿まで進んだ。
最近、パワースポットとして注目されているらしく、なぜだか中国人も混じっている。
身体に故障を抱える身としては、『平癒』を願う気持ちが大きい。
お御籤は、『一段と用心せよ!』とのご託宣だったが。

それから水沢観音に詣り、六転生の教えを。
幼いころから神仏を関心を持たない祖父と無関心な母、やや関心を持つ祖母の狭間に。
が、そういう環境下でも、ワリと信心深い方だと思っていた。

が、最近の女性が注目する『パワースポット』とは似て非なるものだろう。
霊気を感じたり、霊験あらかたなる経験を彼女らは持たないだろうから。
吾は、森閑たる鎮守の杜、滝壺に臨むと霊気を感じる時があるが。

かって、選挙の折  『神社に参ってきなさい!』と、大量の硬貨を持参したおばちゃんが。
云われたとおりに、長い階段を昇りながら参詣したが、結果は周知の如く。
参詣の手立てと動機と、一挙手一投足が不順だったのか?

伊香保を8時半に出て、羽田までの渋滞に備えた。
『伊香保行き』を想定していないから、1時過ぎの搭乗になっている。
都心に入る前から渋滞が激しくなった。

諦めて、キャンセル、次の便への振り替えを娘が問い合わせると4万円以上の負担だと。
『それでもいいから手続きを!』という吾に
『土壇場でいいよ!』と、間に合わせることを諦めていない。

同行していた長男が、スマホナビ情報を駆使して探索し、羽田手前で在来線に降りた。
これが空いていて、スムーズに第2ターミナルに。
間に合って宮崎に降り立ったが、電話に出た娘が言う。

『渋滞の車中で、婆ちゃんに間に合わせるよう頼んだんだ!』と。
99%の不可能が、可能になったは母の御加護かぁ~
娘には、困った時には祖母の助けが期待できるのかもしれない。

霊界、魔界の手助けか?
パワースポットの御利益か?
迷いが絶えないのが人生なのかもしれない。
06:44  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.17 (Thu)

出来もしないこと

江戸幕府の頃、江戸の町は世界第1位の人口を誇るほどに栄えていた。
幕府という『中央集権』体制だから、全国への決め事は江戸から発せられる。
地方の各藩は、強制的な参勤交代で年毎に自藩と江戸をアチコチと。

殿様の妻女などは江戸屋敷に住まいし、御世継ぎも同様だ。
つまり、ていのいい人質であって、江戸上屋敷に住まいしている。
そして、江戸住まいの下級武士は、下屋敷に住むのである。

江戸の暮らしは、地元の藩庫から送られる資金で成り立つ。
江戸の下屋敷では、地元産品の商いが上手く行くように商社も兼ねる。
従って、カネだけではなく物資も江戸に集まってくるのである。

人や物が集まれば、その生業を支える関連商売人も集まってくる。
どしどしと集まるから、その者達の暮らしを支える商売がなりたつ。
飯屋や飲み屋、八百屋から女郎まで。

つまり、地方の富が中央に集まり、伴に人材も集まってくる。
かっての都だった朝廷のある京都は衰退し、見る影もなくなる。
ただ、商都・大阪だけは別だが。

それでも、幕府は朝廷の認可の許に成り立っている形をとる。
だから、江戸から京、大阪に赴くことを『上る』と云うのだ。
『灘の生一本』樽が江戸に運ばれると『下り酒』と言ったらしい。

明治になって幕府は滅びて、朝廷に大政が奉還された。
が、京都ではなしに、朝廷が江戸城に入ったから『東京』と呼ぶ。
そして、『下り』ではなしに『上り』になり、東京に行くことを『上京』と云うようになった。

1600年の開闢から400年以上、日本の政治は東京で進められている。
国会も、最高裁も、役人たちも、である。
だから中央集権下では、地方は上京して『陳情』する習わしである。

大学の大半は東京にある。
卒業して就職した会社の殆どが、本社を東京に置いている。
地方を差配する役人たちも霞が関から動かずに、地方を呼び出して下知する。

証券取引の大半も東京だし、メディアの本社も東京にある。
地方を押さえるために、時には役人を地方の役所に派遣し、息抜きを兼ねさせる。
東京から地方を『見下す』習性は、江戸の昔から変わっていない。

四全総(第四次全国総合開発計画)だったか失念したが、地方分権を謳っていた。
多極分散型の国土をつくり、東京一極集中を排するというのである。
当時、県議会の質問で、『画餅』だと申し上げたから記憶にある。

人とカネ東京に集まれば、地方は逆の現象を辿る。
育てた子弟は、東京で納税し、地方には還元されない。
僅かに、『国税3税』の4割強を『地方交付税』として地方に配分するだけだ。

が、地方交付税は本来、地方の『自主財源』というものだ。
だから、維持している自治体の面積、人口、道路の数などに比例して配分される。
その原資は、地方が汗を流して得たものと理解すべきである。

が、東京などの大都市も、集団就職で吸い上げた経済成長の働き手が老いてきた。
老いたら、都市では面倒を見きれない。
できれば地方に漂流させて、地方で身罷るようにしたい!
東京の役人は、そのような『地方押付け』を考えている。

その為には、地方に夢と希望を与えなければならない。
イヤ、夢と希望ではなしに、飴とムチを!である。
そこで持ち出したのが『地方創生』だが、夢が重なるから、どうしても『金太郎飴』になる。

地方創生の手始めとして、中央省庁を地方に分散させようと画策した。
が、東京にしがみつく役人たちは、どうしても『都落ち』を避けたい。
為に、いろんな難癖を付けて、『移転出来ない理由』をでっち上げる。

蓋を開けてみたら、文化庁だけを京都に、『数年以内』に移転させるらしい。
徳島県や北海道、和歌山県、三重県など、地方が移転を求める機関は多かった。
が、結局は全てか潰えていったのである。

文化庁だって、実際はどうなるか判ったものではない。
どうせ文科省の下部機関だから、そのうちに消えてゆくだろう。
移転しない理由の殆どが、『国会対応が難しい』

そんなことは最初から判っていたことである。
判っていたのに、地方を慰撫するために出しただけの案であろう。
真に受けて、希望を述べる自治体の『読み』の浅さに辟易する。

簡単な方法がある。
国会を移転すれば済むことなのではないか?
国会は、『国権の最高機関』なのだから、国会が動けば全てが動く。

肝心なことは、国会が動きたがるかどうか?だが。
これもムリであろう。
自身の身を削ることを厭う人種の集合体だから。

出来もしないことを、繰り返し唱えては民を騙すのは、古くから行政が使ってきた手法。
判っていても、それに乗っかかるほどに地方は疲弊している。
国会の地方移転だけは、全党派が反対する課題かもしれない。
14:46  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.15 (Tue)

確定申告

以前、祖父が健在だった頃には、よく銀行の支店長などが訪ねてきていた。
ちょっとした手土産を持ちながら、だが預金の願いでもあったのだろう。
それだけの貯蓄を必要とするほどに、銀行は融資先を抱えていたということか?

経済成長期には、新たに起業する者も多いし、事業拡大を目論む人も居る。
逆に言えば今の時代、資金融資など金融機関の存在が薄れているのは何故か?
それだけ経済が停滞し、その地域の資金活動も沈滞しているということ。

太古の昔から『租税』の考えはあっただろう。
しかし、民が平等に負担するものではなく、権力者が民から収奪するものであった。
つまり、支配者が底辺の汗と苦労を搾取するのである。

武家社会には、士農工商の身分制度があったが、百姓は経済の太宗を占めるコメを。
つまり、コメ経済仕組みだったから、『命の綱』を生産していたことになる。
だから身分制度としては、士族に次ぐ位置を占めていた。

占めていた!というけれど、それは『大事な存在』という意味だけである。
田畑を開墾し、季節や天候、災害に左右されながら稲作を続ける。
そして生産したコメの6割ほどが、年貢米として取り立てられる。

勿論、コメ以外の作物でも、否応なく年貢の取り立てが。
年貢どころか、餓死する者、身売りされる子供、抑圧の搾取である。
江戸時代になると、武士は全く用を為さない。

為さないのに、支配層に君臨し、格式だけで生きている。
が、支配層として様々な権力を手中にしている。
その権力を活かして賂を求めるが、それは今の時代も変わりない。

農作物を生産する農家の次に、それを加工して販売する商売が成り立つ。
加工販売するために必要な物資や、関連する資材も調達する。
そこに『2次産業』が存在し、その次に販売を行う『3次産業』が。

そういう過程を経ながら、徐々に『商家』が太ってゆく。
太ってゆけば、『運上金』と称する税を納めなければならない。
が、集められた税は、住民福祉の為に使われるではなく、武家社会の維持のため。
が、徐々に、商人が世を仕切る時代に変わってゆく。

木引税という制度があった。
立木を売り払った代金に課せられる『市税』である。
その税高を把握するために、税務課の職員が山に入る。

切り株の一つ一つを数えながら、切り株の寸法を測っている。
そうやって、税高の算定につなげてゆくのだが、その苦労を笑ったことがある。
それに費やす人件費などの費用、その方が高くつくだろう。

木材の流通過程の末端で把握する、その権限の発揮を知らなかったのだろう。
つまり、山林地主が『正直に申告する』という前提を疑っているのだ。
木引税に連動して、森林組合が『賦課金』を徴収するから地主も警戒する。

以前は、『トウ、ゴウ、サン』とか『クロ、ヨン』などと、税対象の把握率を示す言葉があった。
給与所得者は源泉徴収され、把握率は100%である。
会社経営者となると、節税と云う誤魔化しもあり、農家に至っては把握できない。

農家自身も、毎日のように記帳している訳ではない。
記帳する仕分け自体が判らないかもしれない。
限られた場所で資材を購入し、限られた先に売り払っていれば別だが。

青色申告書を提出するようになって、もう20年を過ぎるだろうか?
それまでは、複数の給与を得ていたから『確定申告』だけで済ませていた。
が、『農林業』という業種で青色申告に換えた。

換えたが、申告書を提出する必要はない程、赤字なのである。
青色申告決算書を書きながら、売り上げと経費の逆転差に苦笑いが。
尤も、税の還付を受ける為の申告のようなものだが。

山林を売っても、これは分離課税だから申告書は別だ。
山林所得は、誰がどう計算しても、経費が売り上げを上回ること確実だ。
確実だから、税務署でも余り相手にしてくれない。

申告の為に、毎日のように記帳し、3月15日が終わるまで全領収証も保管している。
今までに、申告書の『書き方』について3度ほど呼ばれたが帳簿は求められない。
第一、税務担当者なら『利益のあるなし』は瞬時に見分けるだろう。

毎年、還付だけだったから、銀行の振込口座を記入して置いた。
が、今年は『納めるのだなぁ~!』と、申告書を書きながら。
『納付書が届くだろう!』と、今まで待った。

2月10日頃には、申告書を郵送している。
『申告と納税は3月15日まで』との広告を見る。
納付書送付ではなしに、窓口で納付書を受け取ることを知った。

昨日の税務署は、駐車場が満杯で路上は渋滞している。
なんとか窓口に辿り着き、納付書と現金を添えて出したが要領を得ない。
受け取った係員が、いくら待っても『領収』を持ってこないのだ。

再び窓口に行ったら、『もう一度、納付書を書いて下さい!』と云う。
臨時かアルバイトか知らないが、職員だけが右往左往して、手間取ること甚だしい。
もう一度現れて、『税額を照合しましたが、あっております!口座振替ではいけませんか?』

わざわざ現金を持参しているのに、出納も可能だというのに、と戸惑った。
が、『振替でいいけど口座番号が判らないでしょう?』
還付なら口座が必要だが、納付だったから口座を記していなかった。

『口座番号は判りますから!』と言うではないか!
『ん?』と思う。
昨年までの『還付口座』に変更が無いと、なぜ思うのだろうか?

ポスターが貼ってあって、『来年からマイナンバーが必要です』と書いてある。
吾の還付口座を把握し、こんどはマイナンバーと口座を結び付ける。
新たに口座を開設するには、マイナンバーの提示が求められる。

所得と資産の把握の為に、マイナンバーが存在することが確認できる。
『災害と福祉の為に!』なんて言っていたが、無関係だと訝っていた。
資力無き吾には無関係だが、所得の多い方は逃げられないかもしれない。

でも、タンスにはマイナンバーは必要ないから。
04:45  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.13 (Sun)

奨学金制度

祖父は、外での飲酒は付き合っていたが、自宅では全く呑まなかった。
呑んで帰ると機嫌が良く、面白くもない冗談を言ったりする。
欲しいものがある時は、この隙を逃さずカネをねだる。

機嫌が良い時の口癖は、『勉強しなきゃあいかんぞ!大学まで行かなければ!』
続けて、『祖父ちゃんも親が大学に行かせてくれれば、もっと出世していた!』
宮崎高等農林、今の宮大農学部を出ている。

大学に進学したかったが、親が『大学を出たら書生ナグレになる』と猛反対。
『書生ナグレというのは、口達者で汗を流さず儲ける者を指すのだろうか?
それとも、『アカ』に染まって、禄に預かれなくなることなのか?

双子が同時に進学する。
それも私立大学である。
偏差値の示す位置は、とても国立大学どころではない。

入学金から授業料、そして毎月の生活費を祖父は工面し、仕送りしていた。
双子でも進む大学は違っていたから、最初の一年間は2世帯の生活だ。
祖父が見積もった金額と、実際の東京生活の費用は違う。

入学式の後、直ぐに雄弁会に所属したものの、練習には行かない。
行かないで、『読売奨学会』に所属してバイトに励んだ。
が、奨学と銘打っているものの、実際は読売新聞の拡張である。

その傍ら、プロダクションに誘われ、唄のレッスンに通った。
先輩が下宿を訪ねてきて、『坂元!真剣に雄弁会で励め!』と。
学内新人大会で優勝し、全国大会に2か所派遣されて準優勝を獲た。

そうなると、雄弁会活動に集中しなければならなくなる。
大学には4年間、毎日のように通った。
通ったが、必須授業の単位は落とす。
授業に出るために通うのではなし、自治会活動などに勤しんでいたのである。

入学して直ぐに、東京都知事選挙に駆り出される。
立教大学の総長だった松下正壽候補の確認団体で、三菱電機関連の動員。
100台ほどが河川敷に集結し、都内を拡声巡回するのである。

選挙関連のアルバイトは、要請が来ると拒まなかった。
が、連続してアルバイトに熱中したことはない。
後輩に奢ることが常とされていたから、その費用を2昼夜で稼ぐ。

『マルちゃん』で有名な東洋水産では、零下30度の倉庫で働く。
三菱製鋼では、真っ赤に焼けた丸鋼をクレーンが下ろす時にワイヤーを外す。
工場内は灼熱、外は厳寒だが、屋台のうどんが美味かった。

アルバイトの暇がない時には、祖父に嘘の内容で書状を出し、送金して貰う。
高価な専門書が必要だと、偽るのである。
祖父は嘘を見破っていただろうが、犯罪に手を染めぬように仕送りしたのかも。

学生の日常を視ていると、裕福な家庭の子、限られた仕送りで赤貧に喘ぐ子。
様々だったように思う。
遠く故郷の両親を思い浮かべれば、辛抱に辛抱を重ねた苦学生が多かった。

そこに、共産党や全共闘の付け入る隙があったのだろう。
『独占資本と労働者』の戦いという構図は、すんなりと受け容れられたに違いない。
それが『社会の貧困』であり、社会の歪だと譲らなかった。

全共闘のゲバ闘争は、不満を抱く者達の『ヒロイズム』でエスカレートしていった。
神田の大通りで火炎瓶を投げる全共闘、それをビルの雀荘から見下ろすノンポリ。
そこには、学生の生い立ち、実家の生業を示す縮図があった。

が、全共闘の学生も、確固たる信念と思想があるわけではない。
一度、日大経済3合号館に京大生を引っ張り込んだ時、彼は恐怖で失禁していた。
『ただ、面白くてやっている』と、思想も哲学も否定した。

でも、当時の学生は、今日明日の生活と、学業を経て職を求めることに躍起だった。
フリーセックスに励むのは全共闘くらいで、男女の付き合いも慎ましいものだ。
あの『麻疹』の一時期の騒動は、日本の大きな転換点を示したものだ。

『権力否定』の連中は、就職して社会に出ると保守的になった。
県庁入庁の卒業生も、かつては全共闘の毛沢東思想に嵌まった連中。
『ハシカに罹るのが正常で、坂元のような右翼が異質なんだ』と言った男も。

当時も、『奨学金制度』はあった。
あったが、育英会の審査が厳しいから、申し込んでも適用されない者が多い。
が、苦学生の有難味は大きいから、返済も滞りは少なかったようだ。

今の世の中、高校全入に移行したと思ったら、大学全入が始まっている。
駅弁大学と揶揄されたように、数多の大学は学生不足で経営難だ。
国立大学ですら『経営難』に陥っているから、オープンキャンパスなどで誘っている。

つまり、吾らの時代は狭き門だったのが、今や広すぎる門に変わっているのだ。
だから、猫も杓子も大学進学を目指す。
目指すが、大学に入ることが重要で、学ぶ目的は後から付いてくる。

でも、目的は果たせないだろう。
何故なら、入学してしまえば苦難から解放され、楽しい『遊び』の4年間が待っている。
そういう、猫や杓子が大学に進むが、卒業しても『希望する職』も定まらない。

定まらないし、雇ってもくれないから、学生時代と引き続きのアルバイトで過ごすことに。
なんの為に、薄い『親の脛』を齧るのだろうか?疑問でならない。
それよりも、高卒で就職し、進学経費を親から貰った方が!とも思う。

一度に、3人の子供を大学で過ごさせた時期が、1年だけある。
今にして思えば、どうヤリクリして、3人の学資、生活費を捻出していたか記憶にない。
記憶にない程、カネの工面に忙殺され、一日も早い卒業を願っていたに違いない。

奨学金を『貸与』ではなしに、『支給』する求めがある。
先日も参院の予算委員会で、民主党議員が求めていた。
支給といえば、属人的に支給するのか?それとも大学に支給するのか?

大学には、文科省の補助金が出されており、早く言えば補助金なしでは潰れている。
属人的だとすれば、支給の目安は難しいだろう。
大学の偏差値でもいけないし、親の資産も全額、洗い出すことになる。

支給を受けて、非社会的行為に走ったら、どうなるか?
就職もしないで、怠け人生を送ったらどうなるか?
それ以上に、苦学してきた先人に失礼に当たらないか?

学力と資力、将来性、すべてを洗い出して支給する。
その基準を線引きするのに、根気強い調査が必要になる。
それよりも、大学で学ぶ必要性と成果を問うべきだと思う。

外国では、大学に入学するのは容易だが、卒業するのは難易だと言われている。
それはそうだろう。
真剣に学んだ成果を問うべきだ!とすれば『大学で青春を謳歌!』なんて吹き飛んでしまう。

いろんなイベントで大騒ぎする学生たち。
正に青春を謳歌しているのだろうが、非生産的な光景を醸し出している。
もういちど、6・3・3教育制度に、プラス4が必要なのか?問うべきトキである。
15:07  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.11 (Fri)

『保育に欠ける』児童

戦後の農村は、都市部の国民よりも豊かな生活であっただろう。
なにしろ自給自足で生活できる強みがあった。
都市部からは、大事な衣類などを持参して、物々交換で糊口を凌ぐ人達が。

兎に角、毎日が野良仕事で生活している。
給料取りで生活している人は皆無だから、田んぼや畑で365日だ。
現金が必要な時は、米を売って現金化する。

吾の家では、田んぼが75アール、畑を50アールほど耕作していた。
綿花を収穫して種を省き、綿打ち直しに出荷する。
ゴマから落花生、生姜など生産できないものはない。

大きな樽には自家製の醤油が入っていて、必要な時には栓を抜く。
唐芋飴は、梅雨時に練り上げ乍ら作ってゆく。
正月が明けると切り餅を干し、伯父に送っていた。

夏にはウナギの蒲焼や『カニ巻汁』が毎日のように食卓に上がる。
奥の間には蚕が飼ってあり、桑の葉を与えるのは吾らの役目だった。
そして、絹糸を紡ぎながら祖母が反物を編んで行く。

木戸口には茗荷が生え、秋の軒下には干し柿が吊るしてある。
漬物も、沢庵から白菜、高菜と豊富に食卓を賑わした。
そして冬には薪を運び、椎茸を収穫し、柿の渋抜きを味わう。

何から何までも自家製で賄うことができた。
それでも毎日のように魚屋が商品を運び、代金として白米を受け取って帰る。
現金が無くても、田んぼや畑に頼れば生活が成り立っていたのである。

それでも子育てはやらなければならない。
吾は双子だったから、出かけるときには弟を祖母が、吾を母がおぶったらしい。
農繁期には、家の板の間に柵を拵えて放置しておく。
或る夕刻、母が帰宅したときに糞に塗れたままで、二人が眠っていたという。

よちよち歩きの子供を、田んぼの周囲では面倒見きれない。
その時は田んぼの作小屋で、縄にくくりつけていたらしい。
どこの農家も、同様の光景だったのだろう。

吾が小学校に通う頃も、畑の隅で遊ぶ子供を見かけた。
中には、地面スレスレのハンモックに寝かせつけられた赤ちゃんもいる。
が、一番年長の兄姉が、熱心に面倒をみていた。

農家の次男坊、三男坊は、耕す農地がないから日稼ぎに出るしかない。
一日の労働で稼げるカネは、とても一家を養う稼ぎではない。
為に、女房が野良仕事の日稼ぎか、近所の子供を預かって面倒をみる。

昭和の40年代になると、『託児所』なるものが出現してきた。
酒谷の児童館は、農繁期の『季節託児所』が保育所に昇格したものである。
そして、正規の保育所が運営される時代になる。

つまり、保育所の出現は、農業だけでメシを食って行けなくなった時代を象徴する。
現金収入を求めて労働に勤しむ時代へと変化したのである。
まったく現金が無用だった時代から、現金がなくては生活が立ち行かない時代への変化だ。

今の時代は、どうだろう。
自家菜園で副食を補い、水田で主食を賄っている家は皆無に近い。
一歩、外に踏み出せば、それこそカネ、カネ、カネの時代だ。

そうなると、生活の為に勤務し、現金を稼ぐ必要がある。
稼ぐには、夫の収入で成り立たない家庭、夫の居ない寡婦世帯も同様の苦労がある。
兎に角、一人でも、夫婦でも、現金収入を求めて家を空けるのである。

空けたら、面倒見なければならない子供が居る家庭はどうなるか?
昔のような3世代同居ならば、誰かが子供の面倒を見る。
が、夫婦と子供だけの家庭が当たり前の時代だから、託児所が必要になる。

保育所は、『保育に欠ける子供』の面倒を見る為の施設だから、家庭で面倒見れる子供は預からない。
が、家庭だけの保育では『就学前教育』に不安な保護者もいる。
それを補うのが幼稚園だ。

保育所は、『厚生労働省』の所管で、幼稚園は文科省の所管。
吾が県議の時、就学前教育としての『幼保一体化』に取り組んだことがある。
今では制度そのものが変化したのか否か、知る由もないが。

短大を卒業すると、『教職課程』を経ておれば幼稚園の先生になれる。
保育所は、保育士の資格がないと勤務できない。
一時は、幼稚園教諭は『雨後の筍』の如くに溢れていた。

が、保育士の数は足りてていても、保育所の空きがないらしい。
先日も、保育所の入所に落選した保護者の書き込みがあった。
一方では、保育所の定数を満たしていない市町村もある。

安倍さんは、『女性活躍社会』『一億総参加』を標榜し、政策の柱に据えている。
が、その前提となる施策が不徹底では、国政への信頼を無くしてしまう。
どうして、政策が首尾一貫して遂行されないか?疑問でならないのである。

託児所ならぬ『託老所』は、盛況のようだ。
介護保険の適用なのだろうか、毎日のようにデイサービスの送迎が賑わっている。
家庭の事情があれば、『ショートステイ』で預かってもくれる。

高齢者への施策と児童福祉施策にチグハグになってはいないか?
使い古した、吾のような世代も大事だが、次代を担う国民への施策はもっと大事だ。
預かってくれる保育所がなくて、働きの場から遠ざかる若人がいるようではいけない。

吾の長女は共稼ぎで、小学生二人の娘を放課後保育に預けている。
両親が終業し、迎えが来るまで預かってくれるらしい。
お役所仕事ではなし、民間の施設のようだ。

保育も、休日保育、夜間保育と、窓口を拡げなければいけない。
そういうニーズに応えるために、法の改正も含めて対応すべきだ。
保育所も、幼稚園にも、まったく縁のなかった吾が思うのだが。
16:19  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.07 (Mon)

公安委と宮交の癒着?

3か月に1度、古賀宮崎駅前クリニックの診察。
もう、かれこれ20年以上続いているか?
年森院長が吾の主治医兼掛かりつけ医のようなもの。

吾の健康や病歴についての資料は、すべてがそこで管理されている。
無論、様々な日常の健康に関することも相談したり。
還暦を過ぎたあたりから、諭される内容が多くなった。

3か月目の第一月曜日、午前8時半が診察予約として入れてある。
月曜日の朝は、通勤、通学の車両で混み合うから早目に家を出る。
今朝も、5時半に朝食を済ませ、6時半には出た。

『バス専用レーンが混むだろうなぁ~!』との予測に違わず渋滞が。
源藤交差点付近から渋滞が酷くなる。
専用レーンは、中村交差点から橘通りを辿っている。

中村交差点の手前から混み始め、2車線の右車線は殆ど停滞だ。
が、左側はスイスイと猛スピードで駆け抜けている。
中村交差点からは、左車線は使えないのに!である。

『中村交差点で警察が、右側に誘導規制しているなぁ~!』と予測する。
源藤から中村まで、25分を費やした。
案の定、警察官が右車線に変更するよう、誘導している。

誘導したら、どうなるか?
右側車線のドライバーは遠慮して止まり、侵入を許してしまう。
為に、右側車線の渋滞は続き、左車線だけがスイスイ~だ。

専用レーンを避けるように走行してきた車は、滞ったままで動けない。
最初から、『専用レーンを侵さないように!』と心掛けてきた良心は無視される結果だ。
つまり、ありていに言えば『正直者がバカを見る』ということ。

だったら、最初から左走行して、中村で割り込んだ方が速い。
速ければ、皆がそれを真似るから、右側走行の『正直者』はいなくなる。
尤も、教習所では『左キープ』と、しつこく教えられたが。

中村交差点以北のバスレーンは、見事なまでに空いている。
吾が見遣った時には、橘橋南詰めまでに一台のバスも居なかった。
左空っぽで右渋滞の流れが、直線に続いているのである。

先日の新聞に、専用レーン1か月の結果が報じられていた。
専用レーンの果たした功績は、ゼロのようである。
効果はないのに、今も尚、渋滞を発生させている始末は、どうなるのか?

渋滞にイラつきながら考えてみた。
駅前クリニックに行くには、高速から一ッ葉南有料を通れば老松に辿れる。
おそらくこれが最速だろうが、有料200円を必要とする。

高速を、宮崎西インターで降りて、10号線を直進しても、経験から渋滞はない!
国道269で、天満橋を渡っても、同様の所用時間で済むだろう。
県公安委員会の愚策が続くなら、200円の有料を利用するか!

それにしても、『空気を運ぶバス』を見るに同情に絶えない。
真っ直ぐに伸びた無人の道路を、ポツネンと走る無人のバス。
ドライバーの気恥ずかしさは相当なものだろう。

先日も書いたが、乗降する停留所が目の前ならば、みんなが乗車する。
なのに、自宅から停留所まで、停留所から勤務先が遠かったら、どうするか?
やっぱり、玄関から玄関までのマイカーに乗りたいのが人情だろう。

そういえば、日南市はJRの利用促進の為、職員出張用のJR代金を新年度予算に組んでいる。
公共交通機関としてのJR存続の一環だろう。
『交通不便地帯だから』という温情で日南線が残されたから、利用促進は大事かもしれない。

が、公共交通機関の存在と、利用促進の為に『不便さ』を強いるのはどうだろう。
宮崎交通とて、私営の交通機関であり、その辺りのタクシーと経営は同一視されるべき。
なのに、専用に走れる道路を与えられるのは、どっかの社会主義国家と変わらないのでは?

とまれ、いつもは1時間で到達するクリニックに着いたのは、8時半の予約時間ギリギリ。
時間の経過は、燃料の消費にも比例する。
同時に、CО2排出にも連動するから、誰が得して、誰が損するのかは歴然。

多くの県民が恩恵を享受できない交通規制。
公安委員会と交通機関との癒着はないだろうが、政策が県民に理解されるか。
まぁ、滅多に宮崎に行くこともない吾が、勝手にホザいているだけだが。
14:36  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.06 (Sun)

幽明境を異にして

『閑話休題』とは、本題から外れて、他の話題に移ることである。
吾は、人生すべてにおいて本題から外れている。
挨拶でも例え話が多いから、聞いている人には理解できていないのかもしれない。

毎日書くことも、定期的に書くことも、自身に義務づけてはいない。
それこそ不定期的に拙文を載せているが、中には律儀に読んで頂く方も。
女性が言う。『なんか終いの話ばかりになってきたねぇ~!』

それはそうだろう。
人生の終焉まで、もう一巡という処まで到達している。
後顧の憂い無きよう、終いを飾って置く必要がある。

持ち山の在り様についても、熟考しながら管理を進めている。
とは言うものの、新たに土地を求めて甘柿を植えたりしているが。
植え乍ら、『大量に実ったら出荷しなければ!』などと『取らぬ狸の皮算用』を。
それまでの生存を天が許してくれるのか判らぬのに、思わず苦笑いだ。

以前書いたが、『死後の世界はどんな世界なの?』と母に聞いた。
『眠っている状態よ!何も意識しない世界だよ!』
そのことを、どう理解していいのか? 信じられずに来た。

これも以前書いたが、キツネにつままれたこと、祖母が葬儀の夜に火の玉を見たこと。
帯状疱疹が、包丁を当てて呪いで治癒できたこと。
イボ取り地蔵に、イボの数ほどお供えすれば完治すること。

隣家の長男が氏神様の祟りに遭い、御払いで正常に復したこと。
今までに、数多くの例を本欄で書いてきた。
そして先日は、神仏の加護や来世を信じなくなったことも書いた。
が、またまた迷いが生じてきたのであるが、その内容については後述する。

一緒に建設会社を立ち上げて、吾の政治活動を全面的に支えてくれた友がいた。
病を得て、急に入院し、急いで旅立って逝った。
吾が入院を耳にしたのは、癌が進行し手遅れの状態の時だった。

西都市にペットを持つ病院があって、免疫療法も行っていた。
理事長とは古い付き合いだから、免疫療法の施療を願い了承された。
正に、転院前日、友は急に身罷った。

病に冒された時分、彼は『談合疑惑』の投書に悩まされていた。
検察庁に送られた『告発書』に従って、内偵捜査が進められてゆく。
北郷町の対象工事で、友の会社は受注していない。

が、北郷町建設協会は友の、協会からの離脱を迫った。
渦中の人物が会員として存在すると、他の会員にも捜査が及ぶと考えたのだろう。
北郷の業者は吾の事務所を訪れて、友を説得するよう懇請した。

その時のストレスや、相当なものであっただろう。
吾は、証拠もない!受注もしていない!放っておいたらいいではないか!と幾度となく。
が、彼は眠られぬ毎日、食事も咽喉に通らない毎日を過ごしたようだ。

過重なストレスが、身体と病魔の関係を急速に悪化させることは、吾の経験で理解できる。
『弱り目に祟り目』というが、癌のみが勢いを得て、命を縮めることになる。
亡くなる日の午後、病院に見舞った。

西都に転院し、免疫療法を行う予定の前日だから見舞ったのである。
が、病室から、高く掲げたストレッチャーに乗せられ、急いで救急治療室に。
吾を認めた友は、真剣な眼差しを吾に向けて、『帰れ!』とでも言うように手を振る。

『もう、そこまで迎えが来ている!来るな!一緒に連れてゆかれるぞ!』
そう言いたげな顔つきと眼差しだった。
弔辞で、『まさか幽明境を異にして~』と、慟哭が治まらなかったことを記憶している。

時々、夢に現れるが、亡き友として出現する頻度は、一番多いだろう。
が、別に教訓的な言辞が多いこともなく、日常を感じさせる顕れ方である。
恋しいヒトの出現頻度は高いが、亡き人の出番は少ない方だろう。

昨日は、近所に住まいする人達と、久しぶりに地鶏炭火焼に行った。
北海道出身で元・看護師の女性が、市役所の斡旋で一人暮らしをしている。
吾よりも『焼酎大好き!』で、酒量も多い。

市役所の斡旋は、移住促進を狙ったものである。
従って、『空き家』だが、なぜ空き家になったかは聞かされていなかった。
所有者は、『わけありで~!』と言ったらしいが、『わけあり!とは?』と質すと『ボイラーが無い!』

空家になったのは、住まいしていた人が自殺したからである。
吾が媒酌を務めた男だが、自衛隊を退職し、バツイチで一人住まいだった。
熱心に頼むから、森林組合の作業班に斡旋し、元気で精を出していた。

が、慕う女性が同居を渋るから、悩みが深く、鬱状態だったのかもしれない。
6月の大雨の日に、納屋で自死しているのが発見された。
集落の行事で『わけありを知っているのか?』と聞くと、『私は職業柄、そういうことは気にしない』と件の女性。

が、昨夜は正直に告白してくれた。
夜中の2時過ぎになると、『ガサゴソ』と枕もとで音がする。
それも、住まいするようになってから毎日~だと云う。
枕の方向は南西で、納屋の方角にある。

道の駅のトイレ掃除に通うようになって、睡眠不足で悩んでいたという。
知り合いに相談したら、目井津からお払いが来て、塩やお神酒で浄めてくれた。
それから、ピタッと止んだという。

夜中に納屋に行き、自死したと思われるから、その時刻は午前2時頃なのか?
そういう話を聞くと、幽冥の世界が存在するとしか思えない。
思えないが、幽明境を超えて現世に無念さを知らしめるのだろうか?

お祓いで霊を浄めると現象が治まるは、霊は何を求めているからだろうか?
霊界と話ができるという方から、吾の行方を聞いてもらったことがある。
が、霊界で吾に忠告したのは父だった。

2歳の時に実家に帰った父が、吾について如何ほどの知識があるのだろうか?
49歳という若さで逝ったから、幽冥から吾を視てきたのだろうか?
不可思議な現象に戸惑いながらも、半信半疑になる。

が、昨夜は『実例』を聞いた。
再び、思考の範疇を拡げることになりそうだ。


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2016.03.05 (Sat)

『自民党・解党』のとき

所謂、日本国憲法と云われるものが起案されたとき、その中心命題は日本弱体化だった。
5D政策に象徴されるように、『強い日本』を如何に骨抜きにするか!
占領軍の草案は、その一点に絞って起案された。

自然権としての『自衛権』をも剥奪し、連合軍、とりわけ米軍が取りし切る仕組みである。
が、朝鮮半島で動乱が発生し、日本を盾にして同盟国の安全を維持する必要性が出てくる。
ここで、警察予備隊なる自衛隊の前身を創設し、やがては安全保障体制構築に至る。

米軍起案の憲法草案に猛反対したのが、日本共産党。
『自衛権は独立国家の基本だ!』として、第9条にも反対した。
そして、『自主憲法制定』を声高に訴えたのである。

が、我が国が自由主義国家として歩み始めると、『戦力の不保持』として自衛力反対に転じる。
つまり、自由主義は共産主義と相対するものだから、邪魔になったのだ。
それを今もなお吠え続け共産主義化を狙っている。

共産主義は、暴力革命を標榜し、共産党による一党独裁を目的としている。
目的達成の為に手段を選ばないから、常に平和の仮面を被っている。
政策にしても、とても自らが政権を担った時には達成出来得ないことを訴えるのだ。

似たり寄ったりが社会党で、これも日本共産党と同根だ。
浅沼稲次郎委員長は、『米国は日中共同の敵』と、毛沢東と共に叫んだ。
親中、親露、反米で、自由主義とは相容れない。

社会党、共産党が『護憲』を主張するのは、自らの目的達成のためだ。
自由主義体制を放逐し、社会主義政権が誕生すれば憲法改正を断行する。
この隠された嘘を見破れない国民、イヤ、見破っても黙認する国民が多い。

憲法改正に慎重な公明党。
これは宗教団体が衣を被っているだけで、宗教団体の生存だけに躍起になる。
つまり、政党助成金や歳費など、憲法違反の支出を受け取っている政党。

民主党に至っては、もう言わずもがな、である。
旧・社会党や自由党まで、右から左までの集合体だから、正に烏合の衆。
辻元のようなゲバ出身から、横路の社会主義者まで。

今度は、維新と合流し、新党を立ち上げるらしい。
新党と云うけれども元々、維新の連中は民主党から出てきた者ども。
それが、元の鞘に収まるだけのことで、秋ごろには再び分裂だろう。

合流後の党名をどうするか? 『民主』を冠する党名にして欲しい!と云う者もいる。
何故、『民主』という文字に拘泥するのだろうか?
自民党は、自由と民主主義を併せて自由民主党と名乗っている。

『民主』という言葉ほど、曖昧模糊とした言葉はない!
だって、民主商工会、民主法律家協会、民主音楽協会、民主青年同盟。
共産党の下部組織は、すべてが『民主』と冠している。
そうかぁ~! 共産党と同一歩調を歩みたい願望の顕れなのか?

そういえば、夏の参院選に共同候補を立てると聞いた。
共産党から『山本太郎と仲間たち』までだから、正に極左政権樹立の準備だ。
過去、世界の歴史をみてみても、幅広い結集の後、共産党が政権を強奪してきた。

中国の『抗日戦線』でも、毛沢東と蒋介石は一緒に戦った。
いま中国共産党は、『抗日戦勝利』の祝賀行事を行うが、毛沢東の働きは皆無だった。
蒋介石が勝利するや、国民党を台湾に追い遣り、政権を掌握した。

その後は、共産党による独裁である。
50有余の少数民族を圧殺し、民主活動家を処刑し、共産党の天下にしてしまう。
今でも、民主化を求める弁護士を逮捕しているではないか!

日本人が、米国製の憲法を大事にし、一指たりとも触れさせない世論があるは、戦後教育の成果だ。
日教組が、日本弱体化を狙った米国同様に、国民を骨抜きにしてきた。
あれほど米国を嫌っている社会主義者が、米国製憲法の盾になっているのは笑止だ。

が、このところ自民党員も豹変しだした。
公明党と一緒になって、『憲法改正を言うのは参院選に不利だ!』と言っている。
選挙前になると、政策を曲げ、大衆におもねる姿勢に転じる自民党の悪い癖。

これが、どれだけ此の国の将来を誤らせて来たか!
選挙に勝ちたい一心で政策を曲げ、課題を先送りにしてきた。
自民党派閥の領袖まで、『懸案先送り』を表明するから日本政治の終焉も近い。

自民党は、自主憲法制定を綱領で謳い、党是としている。
党の立脚する綱領を否定するなら、その人は『離党』するしかない。
離党が嫌ならば、自由民主党を解党すべきだ。

党員には『党勢拡大』を求め、党規に違反すると除名する。
ならば、『自主憲法制定』に反対する人は、率先して離党すべきだろう。
『選挙に負けるから綱領に従うな!』と云うに等しい国会議員。

そろそろ自由民主党の限界点が近付いているのかもしれない。
合掌。
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2016.03.04 (Fri)

仏壇漂流

中国では、景気の拡大を図るために都市人口を増やして行こうとしている。
戸籍は、都市戸籍と農村戸籍に分けられているから新しい戸籍が要る。
それで、農村に都市を築いて新しい都市戸籍を作るというのだ。

が、都市を造るには、先に働き場所を造らなければならない。
農地を農民から奪って工場用地を造成するが、企業は進出してこない。
結局は、夢を絶たれ、農業も手段を失い、貧乏人だけが増えてゆく。

都市化は、国民に夢と希望を与えるだろう。
が、一方では深刻な食糧不足と農村の荒廃、そして高齢化社会の悲劇が待っている。
日本という先例を経た国が近くにあるのに気付かない程、中国政府も追い詰められているということか?

『女性活躍社会』とか『一億総活躍社会』などの掛け声は喧しい。
が、それだけ政策の行き詰まり感が、政府に滲んでいるということだろう。
待ったなし!の高齢化は膨大な福祉予算を伴うし、景気を支える雇用も人手不足だ。

おそらく、政府が思い描いたことが無いような社会が現出しているのではないか?
過度な都市集中と、都市で増えている『要介護』老人の数。
過疎に喘ぎ、生活もままならない高齢者の暮らしという、荒れ果てた農村地域の現状。

どれもこれもが、政治がもたらした政策の『残骸』であり、霞が関の見通しの甘さだ。
常に、結果には原因が伴う。   逆説的に言えば、結果を予測し得ない政策は『無策』というものだ。
『かって、世界のどの国も経験したことが無い超高齢化社会』の実験が、我が国で始まっている。

家父長制の許では、家を継ぐ者に譲り渡すと、従来の家父長は隠居に退く。
退くときに、整理するもの、受け継いで行くもの、夫々を区分けして首座や隠居部屋に分かれる。
そして、三世代同居の、日本人の暮らしを営んできたのだ。

が、親の家に子供が移り住む時代は終わって、親は親、子供は子供の家に住む時代。
子供は遠方に就職して結婚~だから仕方がないが、残された老夫婦の生活も長くは続かない。
そして一方が亡くなった場合には、『生前整理』の必要が出てくる。
『実家の片付け』に関する書籍や雑誌が売れているらしい。

МRTラジオの『人生相談』で、モノを捨てない妻への悩み!があった。
生前整理が出来ない人達は、未練が残り躊躇するのだろうが、そのままゴミの山に化すことも。
そうなると、仏壇まで漂流することになるから、先祖も浮かばれまい。

そういえば、空き家を行政代執行で撤去する法律が制定されて、初の代執行が行われたという。
全国の空き家は、平成25年現在で820万戸。
自然減で人口は減るから、空き家は増えてゆく一方だろう。

先日、JRの電車に徘徊老人が衝突し、家族に損害賠償を求める裁判の判決があった。
賠償責任はない!という最高裁判決だが、判断の行方を案じた方も多いだろう。
なぜなら、そこらへんに数多に存在する実態だからである。

2025年、吾が後期高齢者になる年だが、60歳以上の認知症患者は5人に1人ということだ。
ということは、70歳以上になると5人に3人くらいか?
一か所に閉じ込めておくわけにも行かないから、完全に介護不足でお手上げだ。

一方では、『貧困』である。
昨年12月現在で、生活保護を受給している世帯は163万4185世帯。
人員にして、216万5585人で、本県では1万4323世帯、1万8139人らしい。

過去最高の受給者になっているが、やはり増えているのは一人暮らしの困窮老人。
吾の周囲を見てみても、少ない年金で慎ましく暮らしているお年寄りが多い。
『御上の世話にはならぬ』と健気だが、片や生活保護費を詐取している輩もいる。

つまり経済成長は、暮らしの豊かさも享受させてくれたが、その後に抱える課題も多くもたらした。
高齢者は、退屈な日々を過ごす人たちが多く、孤独感に襲われている。
寿命が延びても、認知症・徘徊では、余生の快適さも味わえない。

出来れば、青空の太陽の下、心地よく野良仕事でも汗したい。
家庭菜園が集まっていて、互いに評価し、教え合いながらコミュニケーションを持つ。
毎日でも通いたい場所だから、カネも使わないし、心も豊かで、新鮮な野菜も戴ける。

団塊世代以上の年齢に達している人達は、こういう生活を経験し、そして経験したいと思っている。
吾が育った生家は、背に杉林を負い、前面は畑と雑木林だった。
畑の突端に行くと急傾斜の採草地で、眼下には市道や坂元川、真緑の水田が見下ろせる。

甘柿が緑陰を作り、その下に佇んで、母が幾度も呟いた。
『ここからの景色が、一番好きじゃ!死んだら茲に墓を建てて!』と。
今では、杉が立ち並び、眼下の景色も見られない。

が今度、杉が伐採されて昔の風景が甦った。
元屋敷には、南高梅300本が花を付けている。
手前には、ミカン4種類、渋柿50本、銀杏などを植え付けた。

そして、今年は隣接地を買い受けて、甘柿96本を植えた。
60年前の原風景を醸し出すような試みだが、別に生業ではなし、楽しみたいだけの遊びである。
が、子孫の流れを予測するに、そろそろ『墓じまい』の頃だろう。

唯心論者を認じていた吾が、最近、神仏や来世の存在を肯定できなくなった。
だから吾の代で、仏壇も納骨堂墓所も『終い』にしようと。
これは、好むと好まざるとに拘わらず、時代が流れと歴史の趣くまま。

間違いないのは、菩提寺そのものが立ち行かなくなってゆく!ということだ。
吾が死んだら?
その時は、元屋敷に散骨して頂くよう、願っておく。
納骨堂に祀ってある、全ての遺骨を散骨することも併せて!
05:26  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.03.01 (Tue)

格差

雄弁会に所属しながら、『政友会』という勉強会を立ち上げた。
全共闘に反対する大学生が、各大学で『自由主義研究会』を作っている。
その拓大版が、『政友会』なのである。

教科書は、河合栄次郎の『自由主義の擁護』
自由主義政治を突き詰めてゆくと、『社会改良主義』になる。
国際共産主義運動の花盛りだから、彼らから見ると『右翼反動』ということになる。

社会改良主義は、社会主義と似て非なるもので、社会主義政党の独裁は認めない。
民主的な手続きを経て政権が樹立され、自由な主張、自由な選択が認められている。
が、福祉政策に重点を置き、富の配分に格差が生じない政策を採る。

かって、民社党の政策がそうであったが、今の政党に社会改良主義を主張する政党はない。
英国の労働党や、米国の民主党が、それに近かった。
今でも、大統領候補予備選真っただ中のサンダース上院議員がそうか?

人より学びに熱中し、同級生が遊んでいても学業に励む。
励んだ結果、上位の大学に進学し、一流の会社に就職する。
所得も、同期生よりも多いし、努力が報われる結果だ。

が、所得が多ければ源泉徴収の所得税も、同期生よりも高い。
同期生の中には、努力を怠った報いで、その日暮らしの『生活保護』もいる。
が、公的負担で、最低限の生活は保障され、安穏な毎日。

努力邁進した同期生の税が、怠惰な毎日を過ごしていた同期生に配分される。
つまり、努力の結果は『高負担』で消え、怠惰な同期生に報いが廻る。
端的に言えば、これが『社会改良主義』と言えるのではないか?

所得が多ければ、課税税額も高い。
そこには、長年の努力に対する『控除』はない。
累進税率は、高負担側から低負担側に、富を配分する仕組みなのである。
つまり、怠けていた人達との『格差』を埋める手段と言える。

『富の再配分』による格差解消は理解できても、理解できない格差も数多く横たわっている。
地域間格差が、そうである。
都市と地方、県庁所在地と他の地域、市街地と中山間地域だ。

地方で学び、費用を費やして就職し、大都市に納税して還元する。
県庁所在地で会議があれば、交通費と時間を犠牲に駆けなければならない。
医療機会にしても、買い物機会にしても、一生換算では多大なる『格差』が生まれる。

世代間格差も、そうである。
たいして能力もないのに、多額の年金を受給している公務員ОBもいる。
多くの年金掛け金を負担しながら、年金が満足に受給できない世代もある。

憲法は、『生存権』を保証しているのに、外国からの侵略には無防備である。
三つ葉葵印籠の如く、憲法第9条をかざせば安全が保たれると共産党は言うが、これも宛てにはできない。
宛てに出来ない政党は、敵性の政党だから、いつかは国民を裏切る。

そこで、『一票の格差』である。
憲法で担保されている権利だから、格差の解消は喫緊の課題である。
が、同様の『権利行使』を認めているのであれば、投票行動をも平等にして欲しい。

歩けば半日を要する投票所と、歩いて2分の投票所。
これは差別であろう。
同様の権利行使ならば、同様の投票環境でなければならない。

ここまで言う必要はないのだが、国政選挙の『一票の格差』論を聞いて思うのである。
有識者調査会に委ねて結論が出たのに、一顧だにしない議員が多い。
自分たちで決められないから、第三者に諮問したのではなかったか?

もう一つ、思うことがある。
『地方の声が届かない!』と云うが、届いていなかったから今日の惨状があるのではないのか?
それが今更、良くなるとは思っていない民が多いことに気付いて欲しい。

でも、選挙区選挙は個人名だから理解できるが、党名を記す比例区には疑問が。
だって、候補者の中身も知らないのに、党の決めた順番で当選してゆく。
国民の意思とは無関係に決まるから、これも法的には疑わしい。

疑わしいこと、数多くあるので、この際、『国民投票』に委ねよう。
様々な定数の在り方を示して頂いて、国民が投票で決める。
『国民投票法』を活かして行かないと。
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